2020年10月14日水曜日

「考える会」の性暴力報道のリテラシーとは(2)ーーデイズジャパン最終検証報告書の検証(5)  米ニューヨークタイムズは「レイプ」と「合意のない性関係」を区別

 フェミニストたちが、重大な人権侵害である「性暴力」については、加害の事実を矮小化する「乱暴」などの曖昧な表現より、深刻な実態を捉えた「ごうかん(強かん)」や「レイプ」と表現すべきだと訴えてきたことについては、「考える会」の性暴力報道のリテラシーとは(1)で述べてきた。 

 ここでは、「セクハラ報道と検証を考える会」が、「デイズジャパン最終検証報告書の検証(5  米ニューヨークタイムズは「レイプ」と「合意のない性関係」を区別 において、「刑事犯の場合は”レイプ”という言葉」を使うが、それ以外では「レイプ」などの表現はあまり使わないというニューヨークタイムズと、広河氏事件について「レイプ」と報じた日本の「週刊文春」とを比較して、ニューヨークタイムズを高く評価している点について、考えたい。


 そもそも、米国の新聞・ニューヨークタイムズと、日本の週刊誌である『週刊文春』を、単純に「センセーショナルか、そうでないか」という点で比較するが、報道スタイルや取材態勢等が全く異なる媒体を比較するのは乱暴すぎると思う。 


 もちろん、ニューヨークタイムズが「レイプ」が強い意味を持つ表現だから、それより「読者にできるだけ多くの情報を提供するために、徹底的に正確に伝えようと心がけ」たというのは、正当な方策だと思う。


 一方、日本の場合、性暴力を告発する媒体としては、新聞が性暴力報道に消極的であることもあって、週刊誌での報道が多い。週刊誌の場合、あくまでその内容の如何を判断するのは読者に委ねられつつ、他の媒体では書きづらいことを表に出していく役割を担っている面はある。そして、広河氏事件についても『週刊文春』で取り上げられ、初めて広河氏が性暴力事件を起こしていることが発覚したということだ。『週刊文春』の広河氏の事件を報じる記事では「レイプ」が使われている(「あの人は私を2週間毎晩レイプした」広河隆一”性暴力”被害女性が涙の告発」)。しかしそこでの「レイプ」表現は、被害女性の発言部分であり、鉤括弧がつけられている。『週刊文春』は、被害女性の発言部分以外では「レイプ」表現を使わないというほどには、抑制的であるといえよう。いずれにしろ、米国の新聞と日本の週刊誌を単純に比較し、米国の新聞を評価するというのは、議論として粗雑すぎるのではないだろうか。


 また、「考える会」が「ニューヨークタイムズでは、セクハラ記事に“レイプ”という言葉を使わず、“合意のない性的関係”などを使用してきました」。「日本でも、“レイプ”(=強かん)は犯罪行為です(刑法177条 強制性交罪)。このニューヨークタイムズの基準に照らして考えてみましょう。」というのも乱暴な議論で、誤解を与えるものだ。


 まず、「考える会」は、「複数のジャーナリストと弁護士らが議論」しているという解説文を引いて、日本でも「“レイプ”(=強かん)は犯罪行為(刑法177条 強制性交罪)。」だから「ニューヨークタイムズの基準に照らして考えてみましょう。」と書く。しかし、このニューヨークタイムズの文章は、「レイプ」の代わりに「合意のない性的関係」を使ったことへの批判が相当届いたたためにそれへの応答として書かれたものである。そのため「レイプ」を使わなかった理由を縷縷説明したものだ。


 ニューヨークタイムズは、「キャンパスレイプ」など学生の事例で告訴されているケースでは「レイプ」表現を使ったが、裁判になっていない場合には、刑事事件という意味合いを帯びる表現ではあるものの、「性的暴行(sexual assault)」を最もよく使っているなど、性暴力をいかに表すかで苦慮していることを説明している。「合意のない性的関係」についても、性暴力の場合、「合意」の有無が重要だから、使っているものの、深刻な事例、暴力的な場合には、それよりも「性的暴行(sexual assault)」を使っているなどと状況次第で用語も変わることについて説明を加えている。だがそうしたことには触れず、ニューヨークタイムズが単に「合意のない性的関係」としてきたかのように「考える会」が書くのは、性暴力の矮小化であり、誤解を招くものだ。


 さらに、「考える会」は欧米の報道ガイドラインを礼賛するが、報道ガイドラインは刑事司法制度を基準にしている点で限界もある。ニューヨークタイムズも書いていることだが、国や州によって「レイプ」の定義が異なっているという問題もある。新聞が「レイプ」と報道しても、その意味内容が読者によって理解が異なるということになるからだ。


 

 さらに、単純に「欧米を基準に」というのが通用しない要素には、国により刑事司法制度が相当異なるという面もある。性犯罪の場合、被害の記憶を忘却しないと生き延びることができないほどダメージが大きい場合もあり、被害を認識するのに時間がかかることも多い。英国などでは、すでに性犯罪について公訴時効が撤廃されているが、日本ではいまだ短いままであり、その結果、深刻な性暴力であっても、刑事事件化しづらいという問題がある。広河氏の被害例でも時効という壁に阻まれているケースもあるのではないだろうか。


 このように「考える会」のニューヨークタイムズと週刊文春の比較は、単純すぎて、抜け落ちるものが多すぎる。報道スタイル等が異なること、報道ガイドラインと各国の刑事司法との関係、欧米と日本の刑事司法の違いなど、抜け落ちている部分にこそ考えるべき重要な点がある。これでは、「考える会」は、ただ単に広河氏の性暴力を報道した『週刊文春』の信ぴょう性を貶めようとして、「欧米」を持ち出しているだけだ、と言わざるを得ない。