2021年12月29日水曜日

被害者を分断する「セクハラ報道と検証を考える会」の二次加害

(お断り:以下の記事には、性暴力被害者に対する二次加害だと私たちが考える発言の引用が含まれます。閲覧いただくにあたってこの点ご承知おき下さい。) 


「セクハラ報道と検証を考える会」(以下「考える会」)の旧ブログにおいて有料記事として掲載されていた「【検証・週刊文春】強要を否定の田村記者、記事では一転「抗えないまま」に: 田村記者の取材と記事の検証(1)」という記事は新ブログに転載されていなかったが、その後加筆のうえ「週刊文春デイズジャパンのセクハラ記事は本当に正しいか?1/2 食い違う取材で得た情報と記事の内容」(以下「1/2」)及び「週刊文春デイズジャパンのセクハラ記事は本当に正しいか?2/2 情報のリークに金銭支払いの疑いも」(以下「2/2」)として掲載された。

田村栄治記者による広河隆一氏への取材の録音に依拠した『週刊文春』記事の「検証」なるものについては、すでに以下の記事で批判しておいた。

「セクハラ報道と検証を考える会」の「検証」なるものについて(1)

「セクハラ報道と検証を考える会」の「検証」なるものについて(2)

「セクハラ報道と検証を考える会」の「検証」なるものについて(3)

今回加筆された部分にも看過し難い問題があるため、ここでは加筆部分に絞って取り上げることにしたい。

まず指摘しなければならないのは「1/2」が被害者を描くそのしかたがはらむ問題点である。

この記事の特徴は、証言している「報道の仕事を志す若い女性たち」が、そのタイプによくみられる、自立心が強く、自己主張のできる女性ではなく、性的暴行に直面しても、「恐怖で言葉を発せず、抵抗もできなかった」「抗えない」といった内気で従属的な弱々しい人として描かれていることにあります。

ここで問題にされているのは『週刊文春』記事の描写方法であるが、この部分から逆に「考える会」の性暴力認識に大きな問題があることがわかる。性暴力にあった際に「抵抗」できないことを「内気で従属的な弱々しい人」という被害者の属性に起因するものとし、 「自立心が強く、自己主張のできる女性」であれば抵抗した/できたはずだとされている。抵抗できなかったこととを一方的に「内気で従属的な弱々しい」人柄と結びつける一種の犠牲者非難を行っているのは『週刊文春』ではなく、「考える会」なのである。

また『ニューヨーク・タイムズ』の記事に登場する被害者について「その何人かは、会社に抗議し、示談金で和解しています」などとしたうえで、次のように言う。

ところが、「文春」の記事に登場するのは、自分に降りかかった不幸を誰にも言えず、泣き寝入りしてしまった女性たちです。

そのため、この記事は、女性の被害者意識を強調するだけに終わっていて、#MeToo運動を盛り上げ、女性たちを応援する内容にはなっていないといえます。

「よい被害者/悪い被害者」という二分法で性暴力被害者を分断する、極めて悪質な二次加害であろう。そもそも #MeToo 運動の意義の一つは、性暴力に抵抗しあるいは自らの被害について語ることの困難さを改めて認識させたことではなかったか。ワインスタインの性暴力は長期間に渡っており、多くの被害者が沈黙を強いられてきたのであるから。先んじて声をあげた被害者の勇気を称賛するために、沈黙を強いられた被害者を貶める必要はないはずだ。まるで「模範的な被害者」が存在するかのような発想で被害者をジャッジする「考える会」の態度は、広河の被害者だけでなくワインスタインの被害者が見ても怒りを感じるものであろう。

また、「この記事は、女性の被害者意識を強調するだけに終わってい」るとか「#MeToo運動を盛り上げ、女性たちを応援する内容にはなっていない」という評価も問題だ。まず第一に、被害者の被害感情をきちんと伝えることの意味を過小評価(「だけに終わって」)している点。第二に、「女性たちを応援する内容にはなっていない」という評価も主観的な決めつけに過ぎず、事実に即しているとは思えない(そもそも『週刊文春』の狙いは「#MeToo運動を盛り上げ」ることだったのか? という疑問は措くとして)。実際には『週刊文春』の報道はかなりの関心を集め、被害者の一部がデイズジャパン社に対して民事訴訟を起こすといった動きも起きている。第三に、「そのため」という接続詞によってあたかも被害者が直ちに声を上げなかったことが「#MeToo運動を盛り上げ、女性たちを応援する内容にはなっていない」と評価する根拠となっているかのように主張されている。しかし「#MeToo運動を盛り上げ」るのに貢献する被害者/貢献しない被害者を「考える会」が選別することの問題点は先に指摘したとおりである。

また田村記者の発言に対する曲解もひどい。田村氏が取材の動機の一つに「広河氏の素顔を知らせる」ことをあげていたのを捉えて「セクハラ・性的暴行の報道は、こうした怨念を晴らすタイプでいいのでしょうか」としているのだが、根拠を欠いた決めつけとしか評しようがない。広河氏の周辺にいて薄々事情を察していた関係者は別として、多くのひとは広河氏を「いかにも性暴力を振るいそうな人物」とは思っていなかったのであるから、「広河氏の素顔を知らせる」ことが取材の動機になるのは自然なことであろう。また「怨念」というのが田村氏の感情を指しているのか被害者たちのそれを指しているのかがわかりにくい文章であるが、仮に後者なのであれば抱いていて当然の被害感情を「怨念」と表現するのも二次加害と言ってよいのではないだろうか。


「2/2」に関しては、「考える会」が自称する活動目的と実際の活動との乖離がここでも露呈していることをまず指摘したい。

この取材録音の二人の会話を聴いてなにより腹立たしいのは、女性が渾身の勇気をふるって自分の体験を告白したと思われるのに、取材した側も、取材される側も、その口調があまりにも軽々しく、女性たちの痛みに寄り添っていないところです。 

だが「考える会」は次のようなツイートによって、被害者の証言が信用に値しないかのような主張を繰り返してきた。

先に指摘した二次加害とあわせ考える時、「考える会」に対してこそ「女性たちの痛みに寄り添っていない」のではないかと指摘せざるを得ない。

またこのツイートもそうであるが、「考える会」ツイッターアカウントの投稿には繰り返し「裏取り」「裏付け」「裏づけ」という単語が登場し、検証委員会報告書や『週刊文春』報道には根拠がないという印象付けを行っている。ところが「2/2」では「考える会」がしっかりした根拠を欠いた憶測、噂の類を引き合いに出しているのである。デイズジャパンの元従業員が『週刊文春』から金銭を得て情報をリークしていた「可能性」があるというのがそれである。だがこれについて当事者の証言があるわけでもなく、「可能性がある」という会社側弁護士の認識を聞かされたというジョー横溝・元編集長の発言が参照されているに過ぎない。また仮に金銭の授受があったところで、それが直ちに『週刊文春』の報道内容の当否に関わるわけでもない。にもかかわらず、「考える会」自身「裏を取っていないため、これが事実かはわかりません」と認めているようなことをわざわざ記した理由はなんだろうか? 『週刊文春』や告発者への悪印象をつくりだすためであれば、日頃の“持論”はかなぐり捨てるのが「考える会」のやり方なのだろうか?



2021年12月27日月曜日

「『セクハラ報道と検証を考える会』についての公開質問状」への回答未着とお願いの再送

12月13日に、「セクハラ報道と検証を考える会」のブログの執筆者だとTwitterで明らかにしたフリーライター木村嘉代子氏宛に「『セクハラ報道と検証を考える会』についての公開質問状」を送付しました。回答期限を25日でお願いしていましたが、木村氏からの回答は12月27日現在、まだ届いていません。

そのため12月27日に、以下の文面で再度のお願い文章を、木村氏のサイトのメールフォームより送付し、木村氏及び「セクハラ報道と検証を考える会」のTwitterアカウントにも@にて送付についてお知らせしました。

以下、その文面です。


フリーライター 木村嘉代子様

「広河隆一氏とデイズジャパン経営陣の人権侵害を忘れない会」です。

12月13日に、「『セクハラ報道と検証を考える会』についての公開質問状」を送付し、25日までのご回答をお願いいたしました。期限の25日がすぎましたが、まだご回答をいただいておりません。

私たちは、広河隆一氏がいまだに、自身の性暴力や権力の乱用の数々の事実に誠実に向き合わないままでいることについて、深刻な問題だと考えています。そして、被害者の告発証言が信用できないものかのように言い続け、『週刊文春』などの報道記事、及び検証報告書の批判ばかりを展開することによって、事実上広河氏を擁護している匿名の「セクハラ報道と検証を考える会」にも非常に懸念を抱いてきました。私たちは、社会の公益を考えて公開質問状という形を取っております。その意義をご理解いただき、ご回答をしていただきたいと思います。

以下に再度、公開質問状を貼り付けますので、一刻も早いメールでのご回答をお願い申し上げます。なお、25日の期日までにお返事がいただけていないことについても、公表させていただきますのでご了承ください。

また、公開質問状については、当会のサイトの以下のリンクにてすでに公開しておりますことも、お伝えさせていただきます。 https://donotforgetvictims.blogspot.com/2021/12/blog-post_13.html

ご回答のほど、よろしくお願いいたします。

「広河隆一氏とデイズジャパン経営陣の人権侵害を忘れない会」」(山口智美・斉藤正美・能川元一・乗松聡子)

(木村氏へのメールでは、ここに公開質問状の本文も貼り付けました。)

2021年12月13日月曜日

「セクハラ報道と検証を考える会」についての公開質問状(フリーライター木村嘉代子氏宛)

以下の公開質問状を、フリーライターの木村嘉代子氏に宛てて、木村氏のサイトのメールフォームより12月13日に送付しました。

「セクハラ報道と検証を考える会」についての公開質問状 


 フリーライター 木村嘉代子様 

 時下益々ご清祥のこととお慶び申し上げます。 

 私たちは、「広河隆一氏とデイズジャパン経営陣の人権侵害を忘れない会」と申します。フォトジャーナリスト、および株式会社デイズジャパン元代表取締役の広河隆一氏による性暴力やセクシュアルハラスメント、パワーハラスメントなどの加害行為、さらに株式会社デイズジャパンが適切に対応しなかったことによる人権侵害や、それらに関連する二次加害を許さないための活動に取り組んでいます。(会のサイト

2021年11月30日に、木村さんはTwitterにおいて、「セクハラ報道と検証を考える会」のブログに「​​これまで50本投稿しました」と明らかにされました。 私たちは、「セクハラ報道と検証を考える会」がブログやTwitterで発信する内容が、加害者である広河氏を擁護するスタンスを反映しているとし、たびたびブログで言及してきました。ですが、今まで「セクハラ報道と検証を考える会」はブログの筆者を明らかにしておらず、代表の「永谷生希」氏に関してもネット上に情報がなく、他の会員も明らかではないなど、不明な点が多くありました。この度、プロのフリーライターである木村さんが執筆に関わっていることがわかりましたので、木村さんに「セクハラ報道と検証を考える会」に関して、公開質問状を提出することにいたしました。

以下に記した質問項目に関して、ご回答をいただきたく存じます。 お忙しいところ誠に恐縮ですが、ご回答は12月25日(土)までにいただきたく、お願い申し上げます。なお、この質問状およびいただいたご回答については、私どもの会のサイトにて公開させていただきますので、ご了承ください。 

 以下、7点の質問項目です。

1) Twitterで木村さんは「セクハラ報道と検証を考える会」のブログに「50本投稿しました」と書かれていますが、現在、同会のブログには、「設立の趣意」項目を含めて、51の記事が投稿されており、実質の「ブログ記事」は50本となっています。その50記事全ての執筆者が木村さんなのでしょうか。あるいは、他にも執筆者がいらっしゃるのでしょうか。

2) 「セクハラ報道と検証を考える会」の会員数を教えてください。また、どのような人たちが会員なのでしょうか。木村さんは会員なのでしょうか。木村さん以外の会員の中に、ジャーナリスト、記者、ライター、編集者などの職業の方はいらっしゃるのでしょうか。

3) 「セクハラ報道と検証を考える会」」の代表は「永谷生希」氏とサイトに書かれていますが、永谷生希氏の情報はネットでも全く出てきません。「永谷生希」氏は木村さんの別名なのでしょうか。木村さんの別名ではなく、永谷生希氏と木村さんが別人であるという場合、永谷氏がどのような背景や実績をお持ちの方なのかを教えてください。

4)木村さんは執筆家としてさまざまな本や雑誌記事、ブログを「木村嘉代子」の名前で発表してこられたのに、デイズジャパンの検証報告書を批判するブログを匿名で書かれてきたのはなぜでしょうか。また、なぜ木村さんは、それまで匿名で書いてきたブログの執筆者であることを11月30日にTwitterで突然明らかにされたのでしょうか。

5)「セクハラ報道と検証を考える会」のブログでは、広河隆一氏から直接コメントをとったという記述があります。​​広河氏から直接コメントを取られたのは、木村さんでしょうか。また、同ブログに掲載されている広河氏への『週刊文春』インタビュー録音を入手されたのも、木村さんでしょうか。また、今回、ブログの執筆者であることを明らかにされたのは、広河氏と打ち合わせてのことなのでしょうか。

6)「セクハラ報道と検証を考える会」は「設立の趣意」で「被害者を救済する立場で彼女/彼らの声を伝えていく必要があると考えます」「日本における性被害をなくし(中略)ていきたい」、広河氏がフォトジャーナリストであるにもかかわらず「セクシャルハラスメントやパワーハラスメントに関する知識が低かったと言わざるを得ず、許せるものではありません」とうたっています。しかしながら、木村さんおよび「考える会」は、文春報道や検証報告書を批判するばかりで、「被害者を救済する立場で彼女/彼らの声を伝えていく」ことを一切していないのはなぜでしょうか。

7)60人のジャーナリストにあてて木村さんが広河氏についての『週刊文春』記事や、デイズジャパン検証報告書についての取材メールを送ったという情報を見ました。その取材メールの目的と、60人の選定基準について教えてください。

以上、ご回答をよろしくお願い申し上げます。

2021年12月13日

「広河隆一氏とデイズジャパン経営陣の人権侵害を忘れない会」
(山口智美・斉藤正美・能川元一・乗松聡子)

2021年12月7日火曜日

「セクハラ報道と検証を考える会」のブログ筆者、発覚

2020年1月からnoteでブログを立ち上げ、発信を開始した「セクハラ報道と検証を考える会」(以下、「考える会」)のブログが移転した。また、ツイッター上で送られてくる同会ブログ記事を紹介するbotも、以前より頻度が増えており、「考える会」の活動が活発化してきたように思われる。 私たち「広河隆一氏とデイズジャパン経営陣の人権侵害を忘れない会」は、「考える会」の発信が、いかにもセクハラ報道について検証するといった体裁を取りつつ、実質は加害者である広河隆一氏擁護の目的に貫かれていることを、複数の記事で指摘してきた。(当ブログ「考える会」ラベルから関連記事が閲覧できる。) 

 この「考える会」だが、サイト上では「世話人代表」であるという「永谷生希」氏という名前があるだけで、他に誰が所属しているのか、何人いるのかなどの情報が書かれていない。「永谷生希」という名前でGoogle検索をしても、情報は皆無。永谷氏の名前は会の「世話人代表」として突然登場したというわけだ。 

 だが、2021年11月30日、フリーライターの木村嘉代子氏が以下のツイートを行った。 「デイズジャパンのセクハラに関する週刊文春報道と検証報告書に疑問を感じ、これまで50本投稿しました。」と木村氏は書く。2021年12月現在、「考える会」ブログに掲載された記事数は51本。ということは、「考える会」の記事は全て木村氏執筆によるものなのではないか? 

木村氏は「私たちは考えています」とも書いており、同会には複数のメンバーがいるようなのだが、木村氏以外のメンバーについては不明で、同会の規模もわからないままだ。 木村嘉代子氏は、『朝鮮人「徴用工」問題を解きほぐす』、『なぜオートミールは海外セレブやアスリートに愛されるのか』、『外国人ナンパ男にだまされないヨーロッパの歩き方』などの著書を持ち、『週刊金曜日』などの媒体に寄稿するライターだという。

木村氏はプロのライターなのに、なぜ今に至っても「考える会」ブログの50本にも及ぶ執筆記事に署名をしていないのだろうか。さらに、「世話人代表」という「永谷生希」氏は、同会ブログ記事を全て執筆してきたと思われる木村氏の別名なのだろうか。それとも別に代表として「永谷生希」氏が存在するのかもよくわからない。

木村氏のツイッター発信を振り返ると、すでに2019年12月の段階から、デイズジャパン検証委員会の報告書について批判的なツイートを行っていた。2020年1月に「考える会」のブログが立ち上がる直前のことである。


木村氏は当事者へのヒアリングがなかったと書いているが、明らかに事実誤認であり、そのことは検証委員会のメンバーでもある太田啓子弁護士によりすぐに指摘されていた。

 

「考える会」は「セクハラ報道およびリテラシーのあり方」を考えることを活動趣旨としている。この団体の活動目的に鑑みて、メンバーを明らかにしていないどころか、代表は何者かも不明、記事の執筆は匿名という状態には疑問を感じざるを得ない。それにも増して、同会の唯一の表だった活動であるブログ記事の執筆は、プロのライターによるものだということが今回わかった。 何よりもおかしいのは、木村氏がプロの文筆業であるにもかかわらず、性暴力問題という非常にセンシティブな、苦しみ続ける被害者が存在する問題を論じる上で、匿名記事という方法を用いて自らは安全な場所に置きつつ、加害者である広河隆一氏を擁護する記事を垂れ流し続けてきたことだろう。 木村氏のみならず、影に隠れている何人いるのかもわからない同会メンバーも同じことだ。他の会員たちもジャーナリストやライターといった職業の関係者である可能性もあるのかもしれない。そうだとしたら、あまりに無責任ではないだろうか。被害者の気持ちを考えたことはあるのか。

匿名で無責任に広河氏擁護の文章を書き散らしてきた木村氏及び「考える会」だが、広河氏に問い合わせを行い回答をもらっていたり、週刊文春の広河氏への取材録音を入手するなどしており、「考える会」が広河氏との繋がりを持っていることも明白だ。

 「考える会」ブログで性暴力報道について書き続ける木村氏は、「フェミニズムやジェンダーなど女性をめぐる問題」についてのブログも執筆するが、「ブログをはじめた理由は、このところ注目されている、フェミニズムやフェミニストの考え方に、もろ手を挙げて賛同できないからです。」、「私自身、フェミニズムを専門に、学んだことはなく、フェミニストと名乗る気もありません」と述べており、フェミニズムの背景知識はかなり少なく、かつフェミニズムに批判的な考えの持ち主だということも窺える。「考える会」のブログには、英語力の問題のみならず、根本的に性暴力やジェンダー、フェミニズムに関する知識が不足していることに起因すると思われる誤訳や誤った記述も散見されるが、その背景が見えてきた。

 なぜ「考える会」が今になって活動を活発化させているのか。当会としても、「考える会」のブログ記事の批判的検証を続けつつ、今後の動きにも注意を払っていくつもりだ。

                                                                                                                    

2021年10月8日金曜日

沖縄の運動で起きたセクシュアル・ハラスメントの報道

 広河隆一氏は、いわゆる「人権派」のフォトジャーナリストで知られていただけに、2018年末の「週刊文春」を皮切りに世に知られることになった彼の長年にわたる性暴力は、「平和」「人権」のために権力と闘うと標榜している世界に衝撃を与えた。そのせいか、彼の同業者(フォトジャーナリスト、ドキュメンタリー映像作家、「チェルノブイリ」「フクシマ」など反原発の世界の人々など)とも言える人たちは概ね口を閉ざし、公に広河氏を糾弾することはほとんどなかった。私(乗松)が個人的にコンタクトをとった同業者は、1)無視する、2)広河氏の生い立ちなどを引き合いに出し同情する、3)「ああ、あんなの誰でもやっている」と矮小化するような傾向があった。同業者が、公的に懸念を表明するような記事やSNSもあったが、広河氏を結果的には擁護しているとしか思えなかったり、言い訳がましかったりするものがほとんどであった。

社会運動内のハラスメントが発覚するとき、その運動のコミュニティー全体の向き合い方が問われることになる。先日、新たに、沖縄における社会運動内の性被害が報道された。9月28日付『琉球新報』社会面で、2018年1月、沖縄の運動体の宿泊施設で、運動に関わる女性が、運動体の男性からセクシュアル・ハラスメントを受けた件だ。女性は「強い口調で何度も制止」したが、男性は女性を「どう喝」し、そこで見ていた運動体の別の男性も傍観しているだけであった。寝室に逃げ込んでも男性は寝室まで入ってきて、他の宿泊者が止めに入りようやく止まったという。どれだけ怖かったことか、想像するだけで体が震える。

私が信じられないのは、加害者、傍観者双方が今でも新聞社の取材に対し、酒を飲んでいたから「はっきりと覚えていない」「記憶がない」と話していることである。反省も誠意のひとかけらも感じられない。この運動体が謝罪文を出し、「基地・軍隊を許さない行動する女たちの会」共同代表の高里鈴代氏を講師に迎え勉強会までやっているのだから、この男性たちが構成員を成す運動体としては明白に事実を認定しているのである。それなのに個々の取材で「覚えていない」とは。韓国出身のフェミニスト学者の友人が、「韓国も日本も酒に酔っていることが刑罰の減免につなが」ってしまう文化であると言っていた。日本では「酒の席では多少のことは許される」という価値観自体が女性を危険に晒しているのだ。

9月28日「琉球新報」の報道は転載許可を受けてPeace Philosophy Centre のブログに転載した。ぜひまずこれを読んでほしい。識者談話として、高里鈴代氏、村上尚子弁護士のコメントも出ている。

https://peacephilosophy.blogspot.com/2021/10/by-sexual-violence-within-social.html

↑この報道に対するコメントとして、私は同紙に連載している「乗松聡子の眼」44回目として、10月3日にコラムを出した。これは私が著作権所有者なので私がテキストを転載するには問題ないということなのでここに転載する。(文中のリンクは著者が転載にあたって追加したものです)


社会運動の中の性暴力 被害者を孤立させるな

乗松聡子

9月28日の本紙社会面に「性的被害 社会運動でも」という見出しで、沖縄の社会運動の中で起こっている性差別や性暴力という人権侵害に焦点を当てた記事が出た。

「#MeToo」運動は2017年10月、米国の大物映画プロデューサーのハーベイ・ワインスタイン氏が自分の権力を使って多くの女優に性暴力を行ってきたことを「ニューヨーク・タイムズ」がスクープしたことがきっかけに拡大した。

米国の#MeTooの火付け役が米国を代表する新聞だったことに比べ、概して日本の新聞は性暴力報道に及び腰で、被害者は週刊誌に頼らざるを得ないように見えた。「人権派」フォトジャーナリストの広河隆一氏の長年にわたる性暴力を最初に報じたのも、「週刊文春」だった。

そのような状況において、沖縄の米軍基地への抵抗運動を支えてきた新聞社である「琉球新報」が敢えて運動の中の性暴力・セクハラを報じたことは画期的なことであった。私はこれまで、運動の中にいる人たちからはいろいろな話を聞いたことがあるが、沖縄のメディアが取り上げることは今までなかったと思う。

人権を重んじ差別に反対する「社会運動」でセクハラや性暴力が起きるのは、これらの世界でもいまだに圧倒的な男性支配の構造が続いているからである。ジェンダーギャップが国際的にも最悪レベルと言われる日本では、保革を問わず性差別がまん延しており、社会運動だけに真空状態が存在するはずもないのだ。自分を含む、運動の中にいる女性たちは身を持って知っている。

昨年9月ツイッターに登場した「すべての馬鹿げた革命に抗して」というアカウントは、社会運動に参加したことのある女性たち53人にアンケートを行い、うち9割以上が運動内でセクハラを体験・目撃している。そこには、「反権力」「平和」「人権」を謳う者たちがいかに自らの権力を利用して女性を踏みにじってきたかの生々しい実例が多数報告されている。

社会運動で起こるセクハラや性暴力の被害者が声を上げようとすると、「運動を割る」「権力側を利する」といった理由で隠蔽圧力がかかる。女性なら味方してくれるかというと、そうとも限らない。性差別を内面化した女性が加害者を庇ったり、「それぐらい我慢して当然だ」と言ったりするときがある。それで被害者はますます孤立感を味わう。

本紙の記事で証言した被害者・体験者はそのような圧力に負けずに声を上げた女性たちだ。もちろん活字になるケースは「氷山の一角」である。彼女らは、同じことを繰り返させないとの一心で、思い出したくもない体験を何度も再現するのに、加害者側は「知らない」「覚えていない」の一言で一蹴してしまえる。彼女らは、何も悪いことをしていないのに、加害者と顔を突き合わす可能性がある運動にもう戻ることすらできない。

これらの不条理の中で、被害者の言葉を受け取る者たちの責務は、彼女らを孤立させないことだ。いま、運動の中ではハラスメント学習会が開催され、いろいろな「気づき」が起こっているということも聞いている。本紙の記事をきっかけにこのような動きが広まることを願っている。(「アジア太平洋ジャーナル・ジャパンフォーカス」エディター)

(10月3日「乗松聡子の眼」転載 以上 デジタル版ではここ

今回のケースは3年以上経ってやっと報じられた。ここまで来るには長い道のりがあり、このケースの背後には、被害者が証言できないといった理由で報じることのできないもっとたくさんのケースがある。今回の記事の被害者の勇気、忍耐力、持久力に心から敬意を表する。

これらの記事を読んで、広河隆一氏が代表を務めていた「DAYS Japan」 の元編集者、小島亜佳莉氏がコメントをくれた。

この記事が出るまでにたくさんの苦労や実際には書けなかったことなどもあると思いますが、それでもこれだけの記事が新聞に載ったというのは本当に第一歩だと思いました。広河隆一の問題が明るみになったときに、こういった社会運動だからこその構造的な問題がもっと広く考えられるような動きになればいいと思っていたのがなかなか十分にはできなかったなという少し悔しい思いがあったのですが、またこれも一つのきっかけになるんじゃないかと思います。少しずつでも変えていけるように私も動いていきたいです。

小島氏が言うように、これは「第一歩」、始まりであり、終わりではない。沖縄から基地を減らしなくそうという運動、言論に参加してきた私としても、運動自体の中で女性やマイノリティの人権が侵害されるような運動ではいけないと思う。運動のためにもこのようなことが起きたら運動コミュニティー全体でしっかり向き合い、加害者が誠意を持って償うことが大事だ。見て見ぬ振り、なかったことにしてはいけない。

私のコラムで触れた「すべての馬鹿げた革命に抗して」のツイッターアカウントは、SEALDS運動に関与した女性たちによって始められたと、毎日新聞の記事(2020年11月8日)は報じている。女性たちはこうやって匿名で声を上げているのに男性たちはどうなのか。SEALDSに関わった男性たち、目撃した男性たちはどうして何も言わないのか。衝撃的な内容なのにもかかわらずフォロアーも2500人強、取り上げたメディアも毎日新聞だけで、社会的な注目を浴びているとは言い難い。

広河氏の被害者、沖縄の運動の被害者、SEALDSを含む日本全体のリベラル運動におけるハラスメントの被害者たちを孤立させず、自分たちの闘いのメッセージと言動が矛盾しない運動体を作り上げてこその運動だと思う。ある、運動内のハラスメントを目撃した女性はSNSで「左翼の運動業界はリベラルの皮をかぶった家父長制の権化」と言っていた。構造問題に目を向けながらも個々の事例に向き合い、被害者を孤立させずに、ハラスメントのない運動を築こう。

★★★

今回の件では他の沖縄メディアでもまだ後追い取材をしている様子はないし、運動の中でも静かな波が起こっている感覚はありますが概ねスルーされています。SNSでシェアしても「いいね」「大切だね」リアクションは一定数あっても、自分からシェアしたり声を上げる人はあまりいないです。

目をそむけないでください。無視しないでください。「貴重な記事を」とか「ご教示を感謝」とか言って関心のあるフリだけして行ってしまわないでください。「世の中には他にも重要なことがある」とか言って脱線させないでください。「自分はこういう記事を書いている」とか言ってきて、自己宣伝しないでください。私たちが提示する実例にまずは目を向けてください。被害者に思いを馳せてください。共に声を上げましょう。

21年10月7日 乗松聡子


2021年4月4日日曜日

「セクハラ報道と検証を考える会 bot」の新規ツイートについて

「考える会」bot の新ツイート

 セクハラ報道と検証を考える会(以下「考える会」)のツイッターアカウント @scshmjp が2021年4月1日に新しいツイートを行った。自動投稿されるツイートが大部分を占めるアカウントが単発で行ったツイートである。きっかけは『現代ビジネス』ウェブ版に掲載された西口想氏のコラム「ハラスメントの中で生まれた作品をどう評価すればいいのか」であるようだ。

西口氏が問題視しているのは山田洋次監督の映画『男はつらいよ お帰り 寅さん』(2019年12月27日公開)に広河隆一氏が撮影したと思しき写真が用いられており、エンドクレジットに名前が記されていることだ。西口氏は「その写真が広河の写真である必然性は物語上にはない」ことを踏まえて“なぜ差し替えなかったのか?”という問題提起を行っている。

これに対して「考える会」は次のような連続ツイートを行った。連続ツイートは2つのグループに分けることが出来る。

A:広河氏の性暴力が事実であることを前提としていることへの批判

B:写真の差し替え要求に対する批判 

これまでもにじみ出ていた広河氏を擁護しようとする意図がいまや鮮明になっている。 

Aの主張について

「考える会」は「示談書などの証拠を示さずに性犯罪を認定するのは、報道倫理に反するとみなされる」と主張するが、「証拠」の例示が「示談書」なのはなぜなのだろうか? 加害者が加害を認め両当事者の間で一定の合意がなされた場合にしか「示談書」の類は存在しないのに。たしかにツイートには「など」とありはするが、加害者が否認している事例を記事にすることへの反発を伺わせる。

他方、広河氏のケースではすでにデイズジャパンから2名の女性に慰謝料などが支払われていたことが報じられている。広河氏個人による賠償ではないにせよ、裁判所が選任した破産管財人が被害を認めたことの法的な意味は大きい。支払いが行われたこと(及びその報道)について広河氏は公的にはなんの発言も行っていない。西口氏が広河氏による性暴力が事実であったことを前提としてコラムを執筆したとしても「稚拙」などと謗られるいわれはなかろう。

なお「考える会」が『週刊文春』の記事を否定すべく公表した記事については、私たちは以下で再反論しておいた。

「セクハラ報道と検証を考える会」の「検証」なるものについて(1)〜(3)

https://donotforgetvictims.blogspot.com/2020/07/1.html

https://donotforgetvictims.blogspot.com/2020/07/2.html

https://donotforgetvictims.blogspot.com/2020/08/3.html

また「考える会」が性暴力報道一般について考察する体をとりながら実質的に広河氏を擁護するかたちになっているという点については、以下で指摘した。

セクハラ報道と検証を考える会」の誤訳から見える、性暴力理解の根本的な欠落(1)〜(2)

https://donotforgetvictims.blogspot.com/2021/01/1.html

https://donotforgetvictims.blogspot.com/2021/01/2.html

Bの主張について

西口氏が求めているのは写真の差し替えであって映画のボイコットではないのだから、これはいわゆる「藁人形たたき」に過ぎない。また自分が観ないだけでなく社会に「観ないよう促す」ことが「知る権利の侵害」だという主張も噴飯ものだ。デモ隊が映画館を封鎖するというならともかく、ボイコットに賛同しないひとは呼びかけを無視して観ることができるからである。むしろ、ある作品に性暴力加害者が関わっていることを広く知らせ問題提起しようとする動きを抑え込もうとすることの方が「知る権利」の侵害ではないか。

西口氏のコラムは「性暴力やハラスメントで告発されたアーティストの作品をどう評価するか、私たちが拠ってたつべき基準はたしかにまだ確立されていない」と慎重な立場を明らかにしたうえで、問題を「作家と作品の関係」だけではなく「観客」を含む三項関係で考えようとするものであり、“悪いことをしたやつの作品は社会から抹殺しろ”といった粗雑な議論ではない。粗雑なのはむしろ「考える会」の側の反応であろう。

2021年2月1日月曜日

「セクハラ報道と検証を考える会」の誤訳から見える、性暴力理解の根本的な欠落(2)

前回の記事では、「セクハラ報道と検証を考える会」による、米ニューヨークのダートセンターの性暴力報道に関する文書に誤訳が多いことを指摘した。そして、そうした誤訳により、本来は被害者の人権を守るための文書を、実際には加害者である広河氏に有利となるように利用していることを述べた。

今回の記事でも、「考える会」が誤訳をしているのみならず、英文の解釈を、自分たちの広河氏擁護の主張に都合よく使えるように改変している問題を考えてみたい。「考える会」は、「性暴力を誠実に報道するために、取材の準備からインタビューの留意点、記事構成や言葉遣いなど、細かい規定を提案している団体もあります。」といい、「性暴力の理解に甚大な影響を与える報道に規制を設ける海外団体:デイズジャパン最終報告書の検証(6)」(魚拓)(「考える会」サイト引越しに伴い、同じ記事タイトルが「デイズジャパン最終報告書の検証性暴力の理解に甚大な影響を与える報道に規制を設ける海外団体(6)」に変更)と題された記事の中でも、いくつかの米国の団体のガイダンスを紹介している。

だが、この記事でも、前回のダートセンターの文書と同様、本来は被害者の人権を守るためのガイダンスを、加害者を擁護するために恣意的に内容を改変して紹介しているのだ。 

 例えば、同会はミネソタ州の性暴力反対連合(Minnesota Coalition Against Sexual Assault, MCASA)のジャーナリスト向けガイド「Reporting on sexual violence: A guide for journalists」を紹介する中で、そのガイド中で言及されているフロリダ州にある非営利団体ジャーナリズム機関のポインター研究所(The Poynter Institute)の記述に触れている。

 そして、「考える会」は、ポインター研究所の記事から以下の箇所を抜き出している。

有罪判決を受けていない人への非難を避けるには、受動態の方が問題がない。しかし、加害者が逮捕されたら、警察の報告を引用し、加害者を主語にしたほうがいい。被害者は直接目的語にすべきである。

ここで「考える会」は、ポインター研究所がその直後に書き、このパラグラフの中で最も重要であると思われる、”Saying a victim 'performed' a sexual act unfairly assigns agency to the victim.”(被害者が性的行動を「行った」ということは、被害者に能動性を不当に与えるということだ。)という肝心な文をなぜかカットしているのだ。

 「考える会」が、「有罪判決を受けていない人への非難を避けるには、受動態の方が問題がない。」と訳した部分は、原文では”Sometimes it’s easier to use the passive voice because we don’t want to assign blame to someone who hasn’t been convicted.”と書かれている箇所だ。これは、「有罪判決を受けていない人に責任の所在をあてがうことを避けるために、受動態を使ったほうが無難な時もある。」と訳すのが適当だろう。だが、これはあくまでもこのパラグラフの前置き的な文であり、最も肝心なのは「考える会」がカットした、被害者に能動性があったかのような表現をすることが不当だとした箇所である。

 この重要な文をあえてカットした「考える会」は、『週刊文春』が広河氏の性暴力を告発した記事には「広河氏を主語にした、能動態による性行為の描写も含まれます。MCASAの基準からすると、この記事の執筆者は性暴力表現への配慮が十分ではなく、記事表現は不適切だということになります。」とつなげている。だが、本来、MCASAの文章は被害者に能動性があったかのように、すなわち被害者も合意していたと捉えられるように記述することは不当であるとし、むしろ、加害者の能動性をしっかり伝えるべきだと主張するものである。だが、これを「考える会」は、加害者の広河氏が逮捕されていないから、広河氏の行為が能動態で描かれていることが不適切だと、意味を完全にすり替えている。

 そして、「考える会」は再びダートセンターの性暴力報道のガイダンス文書を持ち出し、以下のように解説する。

「暴行を説明するときは、詳細な写実の分量のバランスを考える。多すぎるのは不当であり、少なすぎるとサバイバー(生還者)の出来事の深刻さを弱めることになる」と「正しい言葉の使用」が強調されています。

 この翻訳に対応するオリジナルの英文は以下である。

When describing an assault, try to strike a balance when deciding how much graphic detail to include. Too much can be gratuitous; too little can weaken the survivor’s case.

 「考える会」は”Too much can be gratuitous"を「多すぎるのは不当であり」と訳しているが、原文は「意味もなく過度に詳細な記述を行うべきではない」という意味であり、これに「不当」という訳語を当てるのでは、意味が全く伝わらない。また、「考える会」のいう「不当」が、誰にとって「不当」なのかも曖昧なままになっているが、この記事の文脈や、これまで指摘してきたような恣意的な解釈を踏まえると、被害者にとって「不当」だということをきちんと理解しているのか疑問である。

 ちなみに、同会がダートセンターのガイダンス文書を翻訳紹介した記事のほうでは、同じ文を「暴行を説明するために、含める図式的な詳細の分量を決める際、バランスをとるようにしてください。多すぎると余計ですし、少なすぎるとサバイバーの事件を軽視することになります。」と、「多すぎると余計」と訳している。「不当」と「余計」では意味が全く違い、同じ文書に対して異なる翻訳文を提示するのも杜撰だし、ダートセンターのガイドラインが意図している、被害者の立場に立つという視点が全く抜け落ちた訳になっている。(なお、"graphic"の訳も、「写実の」「図式的な」と異なっており、一貫していない。)

 さらに「考える会」は、ダートセンターが女性の被害者の取材の際には女性記者の同席を勧めているからとして、「広河氏の週刊誌報道に対する違和感のひとつは、サバイバー(生還者)から話を聞いているのが男性記者だけではないかと思える点です。」と、『週刊文春』記事を書いた田村栄治氏が男性であることだけをもって、記事の信頼性を貶めようとする。

 だが、『週刊文春』の報道の後、さまざまな新聞、ウェブメディア等で広河氏の性暴力やパワハラ問題が、被害者への取材も交えつつ報じられてきたが、それらの記事の多くは女性記者によるものだし、中には被害女性たちが声をあげた記事やブログもある。そして、デイズジャパンの検証委員会の中にも、被害者の聞き取りを担当した女性の委員はいる。また、例えばジャーナリストのジョン・クラカワーの『ミズーラ』は、被害者の側にたち性暴力事件を報じた大変優れた仕事だが、クラカワーは男性である。聞き取りの場に女性記者もいることが望ましいとするガイドラインそのものに問題はないが、取材に関わる人や記事を執筆する人が女性でなくてはならないわけではないし、記者が男性だというだけで、記事の信頼性が落ちるということにはならないのは当然だろう。

 そして、「考える会」は、記事を担当した記者である田村氏が男性であるために、『週刊文春』の記事の中に「不快な表現が多々」みられるとし、事例として『週刊文春』の2019年2月17日号に、広河氏が避妊具を使わなかったことについての記述があることを特に挙げて、批判を展開している。

当該記事のなかには、報じる側に女性の関与があれば、避けるであろう不快な表現も多々みられます。たとえば、避妊方法の明記です。避妊は加害性を軽減したり、サバイバー(生還者)にとって有利になったりせず、性暴力の酷さとは関係がありません。それをわざわざ書いく(ママ)のは、いかにも男性視線の猥談的な興味からに思えます。 

 もちろん加害者がたとえ避妊をしたとしても、同意を得ずに性行為を行うということは紛れもない性暴力であり、許されないのは当然だ。だが、被害者が性行為に同意をしていない中で、さらに加害者が避妊具を使わずに性暴力行為を行なったということは、被害者にとってはとてつもなく恐怖だろう。性暴力の中で避妊したかどうかは、被害者にとって自分の身を守る上で重要なことであり、だからこそ重要な情報として、証言をしたのではないか。被害者の側に立った立場を装いながらも、「考える会」は被害者の思いを全く考えず、避妊について報じることそのものを問題視しており、被害者軽視の視点を打ち出している。「考える会」は広河氏が、被害者の同意も得ないままに避妊をせず性行為を行ったことは、広河氏の性暴力行為の深刻さとは無関係だといいたいのだろうか。「考える会」の筆者が「男性視線の猥談的な興味からに思えます」というのは、自身がそう思っているということなのではないのか。

 そして、「考える会」は「日本のセクハラ報道は、加害者の悪質性を強調した個人攻撃型で、問題の背景や全容、今後の解決策につながるような内容にはなっていません。」と結論づける。ここで「加害者の悪質性」すなわち広河氏の悪質性を強調すべきではない、という「考える会」の広河氏擁護の主張がますます明らかになっている。

 「考える会」は「こうした報道は、#MeToo 運動の盛り上げの一助になるのでしょうか。」とも書くが、#MeToo 運動へのバックラッシュとしか言いようがない言論を展開している「考える会」に、上から目線でフェミニズム運動に対して、盛り上げの一助にならないなどとコメントする資格はない。これこそ性暴力の被害を軽視し、フェミニズムを見下して専門家ぶる「男性視線」以外の何者でもないだろう。

「考える会」のサイトには、性暴力報道に関する、英文ガイドラインの邦訳が掲載されていて便利だと思う人もいるかもしれない。だが、ここで見てきたように、「考える会」が提示する翻訳が「加害者擁護」の目的に影響されたものであり、時に致命的なミスや、恣意的な誤訳、文脈を無視したつまみ喰い的な引用が巧妙に混ぜられた邦訳であることを忘れてはならない。すなわち、「考える会」の翻訳に基づきこれらのガイドラインを活用することは、被害者の人権を侵害する報道につながる恐れが高く、大変危険だということだ。

 

2021年1月26日火曜日

「セクハラ報道と検証を考える会」の誤訳から見える、性暴力理解の根本的な欠落(1)

 
前回の記事(「考える会」の性暴力報道のリテラシーとは(3))では、広河隆一氏の性暴力加害を擁護する「セクハラ報道と検証を考える会」が、ニューヨークタイムズ紙などの欧米メディアを文脈を無視して褒めちぎることで、『週刊文春』など日本のメディアに掲載された広河氏の性暴力の告発記事の信憑性を貶めようとしたことを指摘した。今回の記事でも「考える会」が英語媒体の翻訳情報を恣意的に使い、曲解をも交えながら紹介することで、広河氏の性暴力を擁護するために利用していることを明らかにしたい。

「考える会」のサイトには、英語媒体からの情報や、翻訳が多く掲載されている。自分たちが英語媒体にも通じており、最先端のジャーナリズム倫理に詳しいと言いたいかのようだ。そして、「考える会」は、英語媒体の情報を「権威」として扱うのみならず、それを広河氏を擁護し、『週刊文春』や「デイズジャパン検証委員会」を批判する目的で使っている。

だが、その肝心の英語の解釈に関して、間違いや誤解が目立つ。そもそも、「セクハラ報道と検証を考える会」というサイトの団体の英語名が"The Study of Covering Sexual Harassment in the Media"とされており変だ。「会」なのに英語が"The Study…"となっているのもおかしいし、”the”も何を指しているのか不明だ。さらに、”covering”とすることで、「報道」を指したつもりなのだろうが、むしろ「隠蔽する」の方かとも思えてしまう。「メディアにおけるセクハラを隠蔽する研究」とでも言ったところか。「考える会」の実際の目的は、本サイトが今まで掲載してきた記事からも明らかなように、広河氏による性暴力やセクハラを隠蔽することにあるので、間違っているわけではないのかもしれない。

「考える会」が2020年2月11日付で出した「性暴力報道のための取材準備から記事執筆までのヒント」 (魚拓)(「考える会」サイト移転に伴い、同記事タイトルが「性暴力報道のためのガイダンス(Reporting on Sexual Violence):ダートセンター」に変更)
という記事がある。米コロンビア大学ジャーナリズム大学院のプロジェクトであるダートセンターが出している文書を翻訳したものだという。「考える会」によれば、ダートセンターは「ジャーナリストの取材活動をサポートする国際的な組織で、暴力や紛争、被害に関する革命的で倫理的なニュースの告知に専念しています。」という組織だという。

この記事が出た時、あまりに誤訳が多いことから、当会のメンバーがそれを指摘するツイートをいくつか行った。例えば以下だ。

また、当会メンバーはダートセンターにも、同センターのメールフォームを使ってメールを送っている。誤訳問題に加えて、「考える会」が加害者である広河氏擁護の目的を打ち出したサイトであることも書き加えたのだが、ダートセンターからの返答はなかった。

今回、この記事を書くにあたり、「考える会」の当該記事を久々に見てみたところ、私たちが指摘した箇所のいくつかが訂正されていることに気がついた。例えば「public policy」が「社会秩序」と誤訳されていた箇所は、「公共政策」に直っていた。ツイートで誤訳を指摘されたのを見て密かに直したのか、あるいはダートセンターから「考える会」に問い合わせがあり訂正という流れになったのかはわからない。

 いずれにせよ、誤訳よりも根本的な問題である、ダートセンターの出した文書の「考える会」による翻訳が、加害者擁護の目的のために使われているということについて、ダートセンターが何もせず、そのまま翻訳許可を与えているのは大きな問題である。同センターの活動そのものにも疑念が湧くレベルだ。コロンビア大学のジャーナリズムスクールなら、日本語ができる人が「考える会」のサイトを読み、同会の目的を確認するなどいくらでも可能だろう。それをせず、放置しているダートセンターの責任も問われるところだ。

 私たちが表立って指摘した「考える会」によるいくつかの誤訳はいつの間にか訂正されていたのだが、再び記事を読んでみたら、まだ誤訳は残っていた。どうせ直すなら、文章全体をしっかり確認しなおせばいいのに、それを怠ったのか、それとも根本的にわかっていないために、チェックし直してもなお誤訳だと気づかなかったのだろうか。

以下、いくつか「考える会」の誤訳の事例を挙げてみよう。

1)
サバイバーがどう感じているかわかると言ってはいけません―それはわからないのです。代わりに、こう言うことができます。「これがあなたにとってどんなに苦しいことかわかります」

日本語が「それはわからないのです。」と言いながら「わかります」となっているのは矛盾していて意味不明である。この翻訳文に対するオリジナルの英文は以下となる。

Never say you know how they feel – you don’t. Instead, you could say, “I appreciate how difficult this is for you”.

日本語だとknowもappreciateも「わかる」と辞書には書かれているが、ここでは「わかります」ではなく、「大変なのにありがとう」と言った感謝の気持ちを表す表現だろう。この英文の翻訳は、「サバイバーがどう感じているかがわかるとは決して言ってはいけません。あなたにはわからないからです。むしろ、『とても大変なことなのに話してくれてありがとう』ということはできます。」という感じである。この文章を翻訳する際に、「考える会」が「わかる」という言葉を使っているのは致命的だ。

2)
しかし、調査が終わっても、それを放置しないでください。この話題に関する知識は多ければ多いほどよく、特定の個人が自分たちに起きた出来事をどのように経験したかを予測することはできません。

オリジナルの英文は以下だ。

But once you have done your research, leave it at the door. It doesn’t matter how much knowledge you have on the topic, you can never predict how a particular individual experienced the events that happened to them.

「考える会」は”leave it at the door”を「それを放置しないでください」とし、さらに”It doesn’t matter how much knowledge you have on the topic”を「この話題に関する知識は多ければ多いほどいいですし」と訳している。しかしここは、「それ(調査で知ったこと)は置いておいてください。どんなにこの問題に関する知識があっても関係ありません」という意味だ。個人の経験はそれぞれ違い、その人が自身に起きたことについてどのように経験したかは、決して予測することはできないから、とダートセンターは書いているわけだが、「考える会」は全く逆に訳しており、完全な誤訳だ。

3)

紛争時における兵士のレイプは戦争犯罪です。それを不運と書き表しますが、戦争のありきたりな側面と表現するのは好ましくありません。

オリジナルの英文は以下だ。

During conflict, rape by combatants is a war crime. Describing it as an unfortunate but predictable aspect of war is not acceptable.


 この文章は「紛争時における兵士のレイプは戦争犯罪です。それを不運な、戦争の予想できる側面であると記述するのは許されることではありません。」という意味だ。つまり、戦争犯罪を単なる「不運」と書き表すべきではない、とするダートセンターの文章について、「考える会」は「不運と書き表しますが」と訳してしまっている。 
 さらに、問題はそこだけではない。「考える会」は、2020年2月の時点では「不運な人としてそれを書き表しますが、戦争のありきたりな側面というのは是認できません」と翻訳していたことが、当会メンバーの能川元一のツイートからわかる。

Google 翻訳よりひどいところもあるな。「不運な人としてそれを書き表しますが、戦争のありきたりな側面というのは是認できません」という部分とか。https://t.co/s1KMKm1sHc

— 能川元一 (@nogawam) February 17, 2020

つまり「是認できません」だったものを、「好ましくありません」と一段とソフトな表現にしてしまっているのだ。能川がツイートで「ひどい」と書いたことが影響したのだろうか。しかし、能川は「是認できません」という表現を「ひどい」と言いたかったわけではない。そもそも原文では”not acceptable”というかなり強い表現を使って言い切っている。「考える会」の戦時性暴力への問題意識の欠落も垣間見える誤訳と言えるだろう。

 3つの誤訳の例を挙げたが、性暴力報道のために気をつけるべきことを述べている記事なのに、英語の読解力の欠落とか、ケアレスミスとかいうことを超えて、根本的に原文の意味を変えてしまうレベルのミスである。性暴力報道という、通常の報道以上に細かな気を使わないといけない局面において、致命的なミスだと言えるだろう。このことからも、「考える会」が性暴力の問題に無頓着であり、被害者の人権など実は考えてもいないことが見えてくるのではないだろうか。

 性暴力被害者の人権を守るために書かれたはずのダートセンターの文書が、「考える会」の翻訳及び広河氏擁護サイトへの掲載により、加害者擁護のための文書に化けてしまったのだ。被害者の人権擁護の衣を纏っているだけに、より悪質だ。


(2021年11月28日追記: 「考える会」サイト引越しに伴い、この記事のタイトルは以前のものから変更されていたが、上記に記したミスに関してはそのまま残っていることを確認した。)