3) 木村嘉代子氏による『その名を暴け』書評の問題点
今回は、「セクハラ報道と検証を考える会」の記事の大半を書いてきたと自ら名乗った木村嘉代子氏が書いた本書の書評「性犯罪を『正しく』暴く」 ジャーナリズムの神髄」(『週刊金曜日』(2021年1月29日号、 p. 55)について見ていきたい。なお「セクハラ報道と検証を考える会」とは、ブログ等で広河隆一氏の性暴力事件の被害者やその報道に疑問を呈し、検証報告書を批判し続けることによって、加害者である広河隆一氏を事実上擁護している団体だ。
こうした活動を積極的に行っている木村氏が書評で書いたことは、ニューヨーク・タイムズの性暴力報道を称賛する一方、ジャーナリストの著者たちが#MeToo運動に疑問を投げかけているかのような内容だった。
著者はまた、この報道を機に、『世界中の女性が、自分の体験を話し始め』たが社会には大きな変化が起きたのだろうかと、#MeToo運動の目的、説明責任のあり方などに答えのない疑問を投げかける。(木村嘉代子「性犯罪を『正しく暴く』ジャーナリズムの神髄」『週刊金曜日』2021年1月29日号、p.55)
書評の#MeToo運動に関する部分に注目したい。「社会には大きな変化が起きたのだろうかと、#MeToo運動の目的、説明責任のあり方などに答えのない疑問を投げかける」という箇所は、#MeToo運動の目的、説明責任のあり方などがまずかったために、社会に大きな変化が起きなかった、と著者らが考えていると思ってしまいかねない。「#MeToo運動の目的」という箇所は、すでに拙稿の第一回(その1)で取り上げた「この(#MeToo)運動の目的」という箇所(「はじめに」『その名を暴け』 p.9)をピックアップしたものと思われる。ここは、翻訳者による誤訳や改変の結果、#MeToo運動が無実の男性に罪を着せたと著者が述べているかのような内容になっていた箇所で、#MeToo運動への疑問らしき含意は、原著には全くなかったことはすでに述べたところである。
古屋氏の誤訳により#MeToo運動に批判的だと読めるように歪曲された内容だったからこそ木村氏がフェミニズム運動を批判するのにうってつけと飛びついたのであろう。なお、木村氏の書評はほぼ「はじめに」だけに言及したものである。そして「#MeToo運動の目的」に該当する箇所は、「はじめに」では上記以外には見当たらなかったことを申し添えておきたい。
次に、「社会には大きな変化が起きたのだろうかと・・・答えのない疑問を投げかける。」について見ていこう。
原著の「はじめに」で「社会の変化」という箇所を確認すると、social change が2箇所 、changeが3箇所あった。その一つである「どうすればこれほどまで世間を揺るがす社会的変化が起きることになったのか? この本を書こうと思ったのはそうした疑問に答えるためだった」という箇所について、見てみよう。
閉塞感のあるこの世界で、どうすればこれほどまで世間を揺るがす社会的変化が起きることになったのか?
この本を書こうと思ったのはそうした疑問に答えるためだった。(『その名を暴け』 pp.6-7)
In a world in which so much feels stuck, how does this sort of seismic social change occur? We embarked on this book to answer those questions. (She Said , p.2)
著者らが、女性たちが性暴力を証言したことによって「社会には大きな変化が起きた」と考え、「大きな変化が起きたのはどうしてか」という疑問から本書を執筆した、というパラグラフの一部だ。つまり、木村氏は、著者らが「大きな変化」が起きたのか疑問視している、と著者らが言明していないこと、むしろ著者らが言っていることと逆のことを書評で言わんとしているということだ。また、木村氏が用いている「説明責任」という用語については、「男性が」「前例のない説明責任を果たすことになった」(p.6)と加害男性の説明責任に関する文章はあったが、#MeToo運動の「説明責任のあり方」という文章は、「はじめに」のどこにも見つけることができなかった。
木村氏が#Me Too運動について引用している箇所は、翻訳者の古屋氏が原文の意味を取り違えたりして、フェミニズム運動に否定的だったり、フェミニズム運動を貶めるような箇所とおおよそ合致した。つまり、木村氏は、翻訳者の古屋氏が日本語版の翻訳において#Me Too運動に厳しく、フェミニズム運動を貶めるように改変した箇所に、木村氏自身の#MeToo運動に関する否定的な見方を投影させ、さらには、「説明責任」に至っては別の文脈で使われていた用語を悪用して、また「社会の変化」については、邦訳で書かれていることと真逆の内容を入れるなど事実をねじ曲げてまで、フェミニズム運動の評価を貶めていたということになる。
木村氏の書評は、古屋氏の誤訳と相まって、本書があたかも#MeToo運動に懐疑的であるかのように読めるものとなっている。ちなみに木村氏は考える会の記事やツイートで、日本のセクハラ報道を「センセーショナルに報じる」「事実をねじ曲げた」などと非難しているが、”She Said ”を『その名を暴け』に変えてしまったことにコメントもせず、また『その名を暴け』での事実のねじ曲げともいえる翻訳の改変箇所には、目をつぶっている。木村氏は、英語の翻訳家養成講座を修了したとプロフィールに書いているのであるから、翻訳のおかしな点を原著に当たって確認をとれるはずだが、それもしていないようだ。さらには、自らも自説に都合よく、邦訳をねじ曲げた書評まで書いたようだ。これでは、木村氏や「セクハラ報道と検証を考える会」の主張は、ご都合主義以外の何ものでもなく、もはや信用に値しないのではないだろうか。
本ブログでこれまで度々、広河隆一氏の事例で問題にしているように、性暴力被害を訴えるとたちまち加害者に寄り添った反論や、あたかもマスコミにタレコミをしてお金を受け取っていたかのような被害者バッシングが湧き上がってくるという実態がある。実名と顔を出して権力者の性暴力を訴えた伊藤詩織氏への2次加害の激しさは言うまでもない。
こうした被害者バッシングが、性暴力への告発をテーマとする書籍の出版に際しても例外ではないということが、今回、見て取れた。性暴力被害者の声にフォーカスした良書が『その名を暴け』というセンセーショナルなタイトルになり、性暴力被害者を貶めたり、被害者側に立つフェミニズム運動を軽視し、否定的な内容へと改変された部分を含む翻訳書として出版された。本書が本来示していたはずのフェミニズム運動へのリスペクトや、女性たちの連帯というメッセージが弱まることになったように思われるのは遺憾である。こうした事実については、今後そのようなことが起きないようにするためにも、せめて記録として残しておきたいと思う。
翻訳者の古屋美登里氏が翻訳を通して行ったこと、そして木村嘉代子氏が書評でしたことは、相手との大きな権力差や法律の壁に阻まれる中、身を削る思いでやっと声をあげた性暴力被害女性への冒涜に思われてならない。
