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2022年2月13日日曜日

#MeToo運動を歪曲し、性暴力被害者を貶める ―― 『その名を暴け』の誤訳・改変と木村嘉代子氏の書評(その3)

 3) 木村嘉代子氏による『その名を暴け』書評の問題点


今回は、「セクハラ報道と検証を考える会」の記事の大半を書いてきたと自ら名乗った木村嘉代子氏が書いた本書の書評「性犯罪を『正しく』暴く」 ジャーナリズムの神髄」(『週刊金曜日』(2021年1月29日号、 p. 55)について見ていきたい。なお「セクハラ報道と検証を考える会」とは、ブログ等で広河隆一氏の性暴力事件の被害者やその報道に疑問を呈し、検証報告書を批判し続けることによって、加害者である広河隆一氏を事実上擁護している団体だ。


こうした活動を積極的に行っている木村氏が書評で書いたことは、ニューヨーク・タイムズの性暴力報道を称賛する一方、ジャーナリストの著者たちが#MeToo運動に疑問を投げかけているかのような内容だった。

著者はまた、この報道を機に、『世界中の女性が、自分の体験を話し始め』たが社会には大きな変化が起きたのだろうかと、#MeToo運動の目的、説明責任のあり方などに答えのない疑問を投げかける。(木村嘉代子「性犯罪を『正しく暴く』ジャーナリズムの神髄」『週刊金曜日』2021年1月29日号、p.55)

書評の#MeToo運動に関する部分に注目したい。「社会には大きな変化が起きたのだろうかと、#MeToo運動の目的、説明責任のあり方などに答えのない疑問を投げかける」という箇所は、#MeToo運動の目的、説明責任のあり方などがまずかったために、社会に大きな変化が起きなかった、と著者らが考えていると思ってしまいかねない。「#MeToo運動の目的」という箇所は、すでに拙稿の第一回(その1)で取り上げた「この(#MeToo)運動の目的」という箇所(「はじめに」『その名を暴け』 p.9)をピックアップしたものと思われる。ここは、翻訳者による誤訳や改変の結果、#MeToo運動が無実の男性に罪を着せたと著者が述べているかのような内容になっていた箇所で、#MeToo運動への疑問らしき含意は、原著には全くなかったことはすでに述べたところである。

古屋氏の誤訳により#MeToo運動に批判的だと読めるように歪曲された内容だったからこそ木村氏がフェミニズム運動を批判するのにうってつけと飛びついたのであろう。なお、木村氏の書評はほぼ「はじめに」だけに言及したものである。そして「#MeToo運動の目的」に該当する箇所は、「はじめに」では上記以外には見当たらなかったことを申し添えておきたい。

次に、「社会には大きな変化が起きたのだろうかと・・・答えのない疑問を投げかける。」について見ていこう。

原著の「はじめに」で「社会の変化」という箇所を確認すると、social change が2箇所 、changeが3箇所あった。その一つである「どうすればこれほどまで世間を揺るがす社会的変化が起きることになったのか? この本を書こうと思ったのはそうした疑問に答えるためだった」という箇所について、見てみよう。


閉塞感のあるこの世界で、どうすればこれほどまで世間を揺るがす社会的変化が起きることになったのか? 

この本を書こうと思ったのはそうした疑問に答えるためだった。(『その名を暴け』 pp.6-7)


In a world in which so much feels stuck, how does this sort of seismic social change occur? We embarked on this book to answer those questions. (She Said , p.2)

著者らが、女性たちが性暴力を証言したことによって「社会には大きな変化が起きた」と考え、「大きな変化が起きたのはどうしてか」という疑問から本書を執筆した、というパラグラフの一部だ。つまり、木村氏は、著者らが「大きな変化」が起きたのか疑問視している、と著者らが言明していないこと、むしろ著者らが言っていることと逆のことを書評で言わんとしているということだ。また、木村氏が用いている「説明責任」という用語については、「男性が」「前例のない説明責任を果たすことになった」(p.6)と加害男性の説明責任に関する文章はあったが、#MeToo運動の「説明責任のあり方」という文章は、「はじめに」のどこにも見つけることができなかった。

木村氏が#Me Too運動について引用している箇所は、翻訳者の古屋氏が原文の意味を取り違えたりして、フェミニズム運動に否定的だったり、フェミニズム運動を貶めるような箇所とおおよそ合致した。つまり、木村氏は、翻訳者の古屋氏が日本語版の翻訳において#Me Too運動に厳しく、フェミニズム運動を貶めるように改変した箇所に、木村氏自身の#MeToo運動に関する否定的な見方を投影させ、さらには、「説明責任」に至っては別の文脈で使われていた用語を悪用して、また「社会の変化」については、邦訳で書かれていることと真逆の内容を入れるなど事実をねじ曲げてまで、フェミニズム運動の評価を貶めていたということになる。

木村氏の書評は、古屋氏の誤訳と相まって、本書があたかも#MeToo運動に懐疑的であるかのように読めるものとなっている。ちなみに木村氏は考える会の記事やツイートで、日本のセクハラ報道を「センセーショナルに報じる」「事実をねじ曲げた」などと非難しているが、”She Said ”を『その名を暴け』に変えてしまったことにコメントもせず、また『その名を暴け』での事実のねじ曲げともいえる翻訳の改変箇所には、目をつぶっている。木村氏は、英語の翻訳家養成講座を修了したとプロフィールに書いているのであるから、翻訳のおかしな点を原著に当たって確認をとれるはずだが、それもしていないようだ。さらには、自らも自説に都合よく、邦訳をねじ曲げた書評まで書いたようだ。これでは、木村氏や「セクハラ報道と検証を考える会」の主張は、ご都合主義以外の何ものでもなく、もはや信用に値しないのではないだろうか。


本ブログでこれまで度々、広河隆一氏の事例で問題にしているように、性暴力被害を訴えるとたちまち加害者に寄り添った反論や、あたかもマスコミにタレコミをしてお金を受け取っていたかのような被害者バッシングが湧き上がってくるという実態がある。実名と顔を出して権力者の性暴力を訴えた伊藤詩織氏への2次加害の激しさは言うまでもない。

こうした被害者バッシングが、性暴力への告発をテーマとする書籍の出版に際しても例外ではないということが、今回、見て取れた。性暴力被害者の声にフォーカスした良書が『その名を暴け』というセンセーショナルなタイトルになり、性暴力被害者を貶めたり、被害者側に立つフェミニズム運動を軽視し、否定的な内容へと改変された部分を含む翻訳書として出版された。本書が本来示していたはずのフェミニズム運動へのリスペクトや、女性たちの連帯というメッセージが弱まることになったように思われるのは遺憾である。こうした事実については、今後そのようなことが起きないようにするためにも、せめて記録として残しておきたいと思う。

翻訳者の古屋美登里氏が翻訳を通して行ったこと、そして木村嘉代子氏が書評でしたことは、相手との大きな権力差や法律の壁に阻まれる中、身を削る思いでやっと声をあげた性暴力被害女性への冒涜に思われてならない。

2022年2月9日水曜日

#MeToo運動を歪曲し、性暴力被害者を貶める ―― 『その名を暴け』の誤訳・改変と木村嘉代子氏の書評(その2)

2)性暴力、性犯罪の被害者を貶める邦訳への改変 

次に、『その名を暴け』日本語版で、誤訳によって、性暴力を告発した被害女性を貶めていると思われる箇所を挙げよう。

なお、ここに出てくるフォード博士とは、ワインスタイン報道から約1年後、当時トランプ大統領から最高裁判事に指名されていたブレット・カバノーから高校時代に性的暴行を受けたことがあると、米国上院の司法委員会公聴会で証言したカリフォルニアの大学の心理学教授クリスティン・ブレイジー・フォード博士のことである。


 フォード博士を#MeToo運動の最高のヒーローだと見なす人がいたが、その他の人々は、彼女をペテン師――増える一方のバックラッシュに対する弁護者――と見なした〔バックラッシュとは、ある動きが高まりを見せる時に生じる反撥(はんぱつ)、揺り戻し、バッシングのこと〕。(『その名を暴け』p.10)

Some saw Ford as ultimate hero of the #MeToo movement. Others saw her as a symbol of overreach –-a living justification for the mounting backlash. (She Said ,p.4).


フォード博士が悪意をもって証言したかのように受けとられる「ペテン師」と訳しているのは問題がある。「ペテン師」とは、「巧みに人をだまして利益を得ることを常習とする者。いかさま師。詐欺師。」(精選版日本語国語大辞典)である。原著の意味は、「フォード博士を#Me Too運動の究極のヒーローと見る人もいたし、逆に彼女のことを行き過ぎの象徴――増える一方のバックラッシュを正当化できてしまうような生きた例――と見る人もいた。」くらいの意味ではないかと思われる。

しかも、フォードが公聴会での証言に至る顛末を描いた同書9章「DCに行くという約束はできない」では、同じ「ペテン」という語がトランプ大統領がフォードの告発を「民主党の『ペテン』の一部だ」という非難する語彙として使われたものでもある(She Said, p.231;『その名を暴け』p.358)。9章の原文は” con job”で、「はじめに」の ”a symbol of overreach”とは異なっている。それをよりによって、証言台に立った彼女に翻訳で「ペテン師」という言葉をチョイスするのは、内容的に適切ではないだけでなく、やっとのことで30年以上も前の被害を公の場で供述した被害者に対して、あまりにも理不尽な表現ではないか。フォード博士がもし、日本で自分のことが「ペテン師」だと訳されていることを知ったとしたら、、、と想像するだけでも、やりきれない思いがする。

邦訳では、証言台に立ったフォード博士を表す表現として、「バックラッシュに対する弁護者」も使われている。これも、バックラッシュを支持したり、バックラッシャーかと誤解する人も出てきかねない、とんでもない誤訳である。日本語版を読む人は、こうした展開を見れば、著者らはフォード博士の味方ではないと受け取りかねない。しかも、Some ・・・・, Others ・・・・ というフレーズは、・・・という人もいるし、・・・という人もいるというところだが、あたかも「その他の人々は」と、「ペテン師」や「バックラッシュの弁護者」だとみなす人が多くいたかのように訳している点も、より被害女性を貶めているように見えるのではないだろうか。


古屋氏は、「ある分野に特化した専門性の強い翻訳者ではなく、広い範囲でフットワーク軽く、時代を切り取るような翻訳」をしてきたと述べているように、幅広い分野をこなす翻訳家だ。ただ、本書がテーマにしている性暴力やジャーナリズムに関する箇所での誤訳となると、原著の主旨が誤解されかねないことが、懸念される。例えば、性暴力をなくす方向性について誤訳が見られる。”In this fractured environment, will all of us be able to forge a new set of mutually fair rules and protections?” が、「このばらばらになった状況で、男女双方にとって公平な規則と保護という新しい組み合わせを作り出すことができるのだろうか。」(She Said, p.5; 『その名を暴け』p.11)と訳されている。

ここでの“a new set of mutually fair rules and protections”は、さまざまな立場、権力関係など重層的な関係においての公平な規則と保護を想定していると思われるが、邦訳では、原文にない「男女」を訳者が挿入している。これでは、性別二元論に基づき、同性間の性暴力を排除してしまうことになり、#Me Too運動や性暴力と闘う運動がめざす方向や射程が誤解されかねない。

被害女性の語りを評価する箇所でも、意味の取り違えによる誤訳が見られる。“We saw her as the protagonist of one of the most complex and revealing “she said” stories yet, especially once we began to learn how much about her path to that Senate testimony was not publicly understood.”の邦訳で、「わたしたちはフォード博士を、『彼女が語った』話のなかでも、もっとも複雑で人柄がにじみ出る話の主人公だと見ていた。・・・」と、”revealing”を「人柄がにじみ出る」と訳している( She Said, p.4; 『その名を暴け』p.10)。しかし、フォード博士については、9章に描かれているように、公聴会で証言するまでの道のりはかなり複雑なものであり、だからこそ、今後に示唆を与える要素が大きいという意味で「最も複雑で意義深い語りの一つ」と訳すのが相当だと思われる。文脈からして、フォード博士の「人柄」といった個人の属性が評価される箇所ではないはずだ。

ジャーナリズムに関しても同様に誤訳がある。” Our Weinstein reporting took place at a time of accusations of ‘fake news,’ as the very notion of a national consensus on truth seemed to be fracturing.”の訳文が 「『ニューヨーク・タイムズ』がワインスタインについて報道したのは、『フェイク・ニュース』が非難され、『真実に対する国家の合意』という概念そのものが崩壊しているように思える時期だった」となっている(She Said, p.3; 『その名を暴け』p.8)。しかし、“national consensus on truth” を「真実に対する国家の合意」と訳出するのは誤訳であろう。「フェイクニュース」か「真実」か、を決めるのは、「国家」ではなく、「人々」のはずだから、適合的な訳は、「真実についての全米の人々の合意」あたりだと思われる。


以上述べてきたように、この本の翻訳には、フェミニズム運動や被害女性を貶める改変の他、性暴力をめぐる状況に関して、誤訳や意味の取り違えが散見される。古屋氏は、担当編集者(島崎恵氏)と協力して膨大な資料を確認し、法学部出身者ネットワークも駆使して翻訳したと語っている。それにもかかわらず、これだけミスが多いのはどうしてなのだろうか。

こうした翻訳による改変は、原著の意図や意義をも毀損しかねないと思われる。訳者の古屋美登里氏は多数の翻訳書を刊行するベテランの翻訳家のようだが、性暴力というフェミニズムに密接に関わる書籍の翻訳出版に際し、出版社サイドがフェミニズムに詳しい翻訳者を探す必要を感じていなかったとしたら、出版社サイドにも、フェミニズムの専門性への軽視があったと言わざるを得ない。(次回に続く。)


2022年2月8日火曜日

#MeToo運動を歪曲し、性暴力被害者を貶める ――『その名を暴け』の誤訳・改変と木村嘉代子氏の書評 (その1)

ジョディ・カンター、ミーガン・トゥーイー著『その名を暴け #MeTooに火をつけたジャーナリストたちの闘い』(古屋美登里訳、新潮社、2020年)は、著名な映画プロデューサーであったハーヴェイ・ワインスタインのセクシュアルハラスメントや性暴力に関する被害女性たちによる証言をニューヨーク・タイムズの女性記者二人がまとめたノンフィクションだ。

同書のポイントは、著者らが#MeToo運動やフェミニズム運動に親和的な立場から、被害女性らが性暴力を告発し、報道につながる経緯及びその後の社会の変化をも丁寧に記し、性暴力と闘うためにはどうしたらいいかを読者に考えさせていることだ。さらに、告発する女性を支えるさまざまな女性たちの連帯にスポットを当てている点も特筆に値する。住む場所も職業も全く異なり、これまで会ったこともなかった被害女性たちがカリフォルニアにある女優のプライベートな住居に集まる終章は、女性たちの連帯が実感でき、感動的ですらあった。

同書は、性暴力に切り込んだ優れたルポルタージュとして書評でも評価され、よく読まれているようである。同書の翻訳を担当した古屋美登里氏は、嫌がらせのない世の中になるよう、女性たちのために翻訳を決意したと語っている。このように同書の日本語版は、主に、性差別を明るみに出すジャーナリズムや性暴力の問題という点から読まれているようであるが、本来、同書はもっと幅広い視点から読まれるべき価値をもった書である。

同書が本来もっていたはずの価値が、日本語版では、古屋美登里氏による翻訳の際、同氏の解釈により狭められ、歪曲されているのだ。日本語版が持つ深刻な問題は以下の2点である。

1)原著は#MeToo運動やフェミニズム運動に親和的であり、敬意も払っている。だが翻訳により、フェミニズム運動を軽視し、著者らもフェミニズムに否定的であるかのような内容に改変された箇所がある。

2)翻訳により、性暴力、性犯罪の被害者を貶めるような内容に改変されている。

本稿では、<その1>で、フェミニズム運動を軽視し著者らのスタンスを歪曲している点について、<その2>で、性暴力被害者を貶めている点について、と日本語版が持つ二つの深刻な問題を2回に分けて指摘していきたい。そして、<その3>で、本ブログで度々取り上げている「セクハラ報道と検証を考える会」の木村嘉代子氏による同書書評「性犯罪を『正しく』暴く」 ジャーナリズムの神髄」(『週刊金曜日』(2021年1月29日号)の問題点を示す。

なお「セクハラ報道と検証を考える会」は、広河隆一氏の性暴力事件の被害者を疑い、その報道及び、検証報告書を批判し続けることによって加害者である広河隆一氏の事実上の擁護者となっている団体だ。また木村氏は、同会のブログ記事の大半を書いてきたと自ら暴露した人物である。

そもそも本書に注目したのは、木村嘉代子氏が同会のブログで度々本書を引用しつつ、自説を展開してきたこと、そして本書の書評を週刊誌に書いていたことが発端であった。

1) フェミニズム運動に対して否定的な邦訳への改変 

 まず、タイトルについて見ていくと、原著は、She Said:Breaking the Sexual Harassment Story That Helped Ignite a Movement と性暴力の被害に遭った女性たちが沈黙を破り語ったことを報道し、その後の#MeToo運動の広がりに大きく寄与したことをそのままタイトルにしたものだ。だが、日本語版は『その名を暴け #MeTooに火をつけたジャーナリストたちの闘い』と、ジャーナリストたちが加害者の名前を明るみに出すために闘ったという扇情的なタイトルに置き換えられている。日本語タイトルでは、原題にあった「運動(Movement)」という単語が消え、「#MeToo」になっている。これが問題なのは、日本語版の「#MeTooに火をつけたジャーナリストたちの闘い」では、著者らジャーナリストたちだけが主役として加害者と闘ったかのようなストーリーに変わっており、一人ひとりの女性の性暴力被害が語られ(She Said)、それを報道することによって、セクシュアル・ハラスメントの問題が浮き上がり、集合的な運動(Movement)へとつながっていったという、原題で浮き彫りにされている女性たちの連帯への動きが見えなくなってしまうからだ。

日本語版の翻訳内容にも原著から改変された箇所が散見される。日本語版の「はじめに」は、新潮社サイト、並びに文春オンラインで公開されているので、公開部分と原著とを照らし合わせて問題点を指摘していきたい。まず、原文で明記されていた「フェミニズム運動への敬意と連帯」が、日本語訳による誤訳及び改変により、薄められ、かつ著者らをフェミニズム運動と切り離し、フェミニズムに批判的であるかのように表現された箇所を見ていこう。

ジャーナリズムは、確かにこれまでもパラダイム・シフトを起こす役割を担ってきた。とはいえわたしたちの仕事は、変化の有様(ありさま)を伝えるだけのことで、その変化自体を長年にわたって作り上げてきたのは、先駆的なフェミニストや法律学者たちだった。アニタ・ヒル〔一九九一年、米上院司法委員会で、最高裁判事候補になっていたクラレンス・トーマスからかつて受けた性的嫌がらせについて証言した女性〕や市民活動家で#MeToo運動の創始者タラナ・バーク、さらには同業のジャーナリストたちなど、大勢の人々のおかげなのである。(『その名を暴け』p.6)

Journalism had helped inspire a paradigm shift. Our work was only one driver of that change, which had been building for years, thanks to the efforts of pioneering feminists and legal scholars; Anita Hill; Tarana Burke, the activist who founded the #Me Too movement; and many others, including our fellow journalists. (Kantor, Jodi; Twohey, Megan. She Said (pp.2-3). Penguin Publishing Group. Kindle 版. ) 

 フェミニズムとのつながりを示している箇所が誤訳されている。“Our work was only one driver of that change, which had been building for years”の邦訳「わたしたちの仕事は、変化の有様(ありさま)を伝えるだけ」 は、正確な訳ではない。著者は、ジャーナリストたちも変化の推進力の一翼である、とジャーナリストを社会変革を起こす力の内部に位置づけているのだ。しかも、アニタ・ヒル、タラナ・バークというパイオニアとして性暴力と闘ったブラック・フェミニストたちの名を挙げ、社会変革は彼女ら先達が作り上げてきたものだとも述べ、フェミニズム運動の歴史に尊敬の念を示している。この点も原著では特筆される点だ。そして最後にもう一度、同僚のジャーナリストたちに言及している。こうした原文は、著者らジャーナリストたちがフェミニストたちの闘いに連なることを示したものだと言えよう。だが、原文ではアニタ・ヒルとタラナ・バークの名前を挙げ、あくまでその後に "many others" が来ているのに対し、邦訳だと「大勢の人たちのおかげなのである」という文末が目立つことになっている。邦訳では、ヒルとバークらフェミニストの貢献が薄められ、またジャーナリストがフェミニストの動きとともにあるという含意が読み取れなくなっている。

古屋氏は、「ジョディとミーガンの視点に立って、2人の感じた世界をそのまま翻訳しているつもり」、「「口寄せ」のような感覚」で翻訳に臨んだと語っている。しかし古屋氏による実際の翻訳は、原著者がフェミニズム運動、特にブラック・フェミニストたちへの敬意と連帯を示している箇所が、誤訳により敬意が薄められるとともに、ジャーナリストをフェミニズム運動と切り離し、ジャーナリストたちもフェミニズム運動と連なっているという記述がなかったことにされている。日本語版が、原著著者らの依って立つ立場をフェミニズムとは無縁であるかのように改ざんしているのは、著者らの意図を大きく歪曲した誤訳と言えよう。

次に、誤訳によって、#MeToo運動を貶めている箇所を紹介する。

ワインスタイン報道が世に出てから数ヶ月も経たずに、#MeToo運動が爆発的な勢いで拡がり、デート・レイプから子どもへの性的虐待、男女差別、さらにはパーティでの出会いに至るまで、さまざまな問題が議論されるようになった。そのおかげで公共の場での会話は豊かになり真剣味を増したが、一方で混乱を招くことにもなった。つまり、この運動の目的は性的嫌がらせを根絶することなのか、刑事裁判システムを改革することなのか、家父長制を打ち砕くことなのか、それとも相手の感情を傷つけずに恋をすることなのか、と。その結果、裏付けのない証拠のせいで、あるいはそこまでいかなくとも、組織の変化が絶望的なまでに欠けているせいで、罪のない男性たちを傷つけることになってしまったのではないか。(『その名を暴け』 p.9)

In the months after we broke the Weinstein story, as the #MeToo movement exploded, so did new debates about topics ranging from date rape to child sexual abuse to gender discrimination and even to awkward encounters at parties. This made the public conversation feel rich and searching, but also confusing: Were the goals to eliminate sexual harassment, reform the criminal justice system, smash the patriarchy, or flirt without giving offense? Had the reckoning gone too far, with innocent men tarnished with less-than-convincing proof, or not far enough, with a frustrating lack of systemic change?(She Said , p.4)


このパラグラフ最後の原文の意味は、文脈からして「説得力のない証拠で無実の男性たちの名誉を毀損してしまう結果になってしまっているのか、逆に問題意識が足りないために、システム的な変革がイライラするほど遅い結果になってしまっているのか」となるはずだと思われる。だが日本語訳では、「その結果、裏付けのない証拠のせいで、あるいはそこまでいかなくとも、組織の変化が絶望的なまでに欠けているせいで、罪のない男性たちを傷つけることになってしまったのではないか。」とある。ワインスタイン報道、そして#MeToo運動が起きた結果、無実の男性たちが証拠もないのに、さらに組織の変化も起きないなど別の理由もあって傷つけられていると、邦訳では「罪のない男性」の「傷」が強調されるようになっているのは、構文の取り違えによる誤訳と思われる。

誤訳の結果として、#MeToo運動が冤罪を引き起こしかねない、行き過ぎた運動であるかのようなマイナスイメージを付与されることになっている。この誤訳のために、#MeToo運動が引き起こした悪しき影響が想起され、この運動を貶める方向に読まれる可能性が高いことが懸念される。(その2 に続く。)

2021年10月8日金曜日

沖縄の運動で起きたセクシュアル・ハラスメントの報道

 広河隆一氏は、いわゆる「人権派」のフォトジャーナリストで知られていただけに、2018年末の「週刊文春」を皮切りに世に知られることになった彼の長年にわたる性暴力は、「平和」「人権」のために権力と闘うと標榜している世界に衝撃を与えた。そのせいか、彼の同業者(フォトジャーナリスト、ドキュメンタリー映像作家、「チェルノブイリ」「フクシマ」など反原発の世界の人々など)とも言える人たちは概ね口を閉ざし、公に広河氏を糾弾することはほとんどなかった。私(乗松)が個人的にコンタクトをとった同業者は、1)無視する、2)広河氏の生い立ちなどを引き合いに出し同情する、3)「ああ、あんなの誰でもやっている」と矮小化するような傾向があった。同業者が、公的に懸念を表明するような記事やSNSもあったが、広河氏を結果的には擁護しているとしか思えなかったり、言い訳がましかったりするものがほとんどであった。

社会運動内のハラスメントが発覚するとき、その運動のコミュニティー全体の向き合い方が問われることになる。先日、新たに、沖縄における社会運動内の性被害が報道された。9月28日付『琉球新報』社会面で、2018年1月、沖縄の運動体の宿泊施設で、運動に関わる女性が、運動体の男性からセクシュアル・ハラスメントを受けた件だ。女性は「強い口調で何度も制止」したが、男性は女性を「どう喝」し、そこで見ていた運動体の別の男性も傍観しているだけであった。寝室に逃げ込んでも男性は寝室まで入ってきて、他の宿泊者が止めに入りようやく止まったという。どれだけ怖かったことか、想像するだけで体が震える。

私が信じられないのは、加害者、傍観者双方が今でも新聞社の取材に対し、酒を飲んでいたから「はっきりと覚えていない」「記憶がない」と話していることである。反省も誠意のひとかけらも感じられない。この運動体が謝罪文を出し、「基地・軍隊を許さない行動する女たちの会」共同代表の高里鈴代氏を講師に迎え勉強会までやっているのだから、この男性たちが構成員を成す運動体としては明白に事実を認定しているのである。それなのに個々の取材で「覚えていない」とは。韓国出身のフェミニスト学者の友人が、「韓国も日本も酒に酔っていることが刑罰の減免につなが」ってしまう文化であると言っていた。日本では「酒の席では多少のことは許される」という価値観自体が女性を危険に晒しているのだ。

9月28日「琉球新報」の報道は転載許可を受けてPeace Philosophy Centre のブログに転載した。ぜひまずこれを読んでほしい。識者談話として、高里鈴代氏、村上尚子弁護士のコメントも出ている。

https://peacephilosophy.blogspot.com/2021/10/by-sexual-violence-within-social.html

↑この報道に対するコメントとして、私は同紙に連載している「乗松聡子の眼」44回目として、10月3日にコラムを出した。これは私が著作権所有者なので私がテキストを転載するには問題ないということなのでここに転載する。(文中のリンクは著者が転載にあたって追加したものです)


社会運動の中の性暴力 被害者を孤立させるな

乗松聡子

9月28日の本紙社会面に「性的被害 社会運動でも」という見出しで、沖縄の社会運動の中で起こっている性差別や性暴力という人権侵害に焦点を当てた記事が出た。

「#MeToo」運動は2017年10月、米国の大物映画プロデューサーのハーベイ・ワインスタイン氏が自分の権力を使って多くの女優に性暴力を行ってきたことを「ニューヨーク・タイムズ」がスクープしたことがきっかけに拡大した。

米国の#MeTooの火付け役が米国を代表する新聞だったことに比べ、概して日本の新聞は性暴力報道に及び腰で、被害者は週刊誌に頼らざるを得ないように見えた。「人権派」フォトジャーナリストの広河隆一氏の長年にわたる性暴力を最初に報じたのも、「週刊文春」だった。

そのような状況において、沖縄の米軍基地への抵抗運動を支えてきた新聞社である「琉球新報」が敢えて運動の中の性暴力・セクハラを報じたことは画期的なことであった。私はこれまで、運動の中にいる人たちからはいろいろな話を聞いたことがあるが、沖縄のメディアが取り上げることは今までなかったと思う。

人権を重んじ差別に反対する「社会運動」でセクハラや性暴力が起きるのは、これらの世界でもいまだに圧倒的な男性支配の構造が続いているからである。ジェンダーギャップが国際的にも最悪レベルと言われる日本では、保革を問わず性差別がまん延しており、社会運動だけに真空状態が存在するはずもないのだ。自分を含む、運動の中にいる女性たちは身を持って知っている。

昨年9月ツイッターに登場した「すべての馬鹿げた革命に抗して」というアカウントは、社会運動に参加したことのある女性たち53人にアンケートを行い、うち9割以上が運動内でセクハラを体験・目撃している。そこには、「反権力」「平和」「人権」を謳う者たちがいかに自らの権力を利用して女性を踏みにじってきたかの生々しい実例が多数報告されている。

社会運動で起こるセクハラや性暴力の被害者が声を上げようとすると、「運動を割る」「権力側を利する」といった理由で隠蔽圧力がかかる。女性なら味方してくれるかというと、そうとも限らない。性差別を内面化した女性が加害者を庇ったり、「それぐらい我慢して当然だ」と言ったりするときがある。それで被害者はますます孤立感を味わう。

本紙の記事で証言した被害者・体験者はそのような圧力に負けずに声を上げた女性たちだ。もちろん活字になるケースは「氷山の一角」である。彼女らは、同じことを繰り返させないとの一心で、思い出したくもない体験を何度も再現するのに、加害者側は「知らない」「覚えていない」の一言で一蹴してしまえる。彼女らは、何も悪いことをしていないのに、加害者と顔を突き合わす可能性がある運動にもう戻ることすらできない。

これらの不条理の中で、被害者の言葉を受け取る者たちの責務は、彼女らを孤立させないことだ。いま、運動の中ではハラスメント学習会が開催され、いろいろな「気づき」が起こっているということも聞いている。本紙の記事をきっかけにこのような動きが広まることを願っている。(「アジア太平洋ジャーナル・ジャパンフォーカス」エディター)

(10月3日「乗松聡子の眼」転載 以上 デジタル版ではここ

今回のケースは3年以上経ってやっと報じられた。ここまで来るには長い道のりがあり、このケースの背後には、被害者が証言できないといった理由で報じることのできないもっとたくさんのケースがある。今回の記事の被害者の勇気、忍耐力、持久力に心から敬意を表する。

これらの記事を読んで、広河隆一氏が代表を務めていた「DAYS Japan」 の元編集者、小島亜佳莉氏がコメントをくれた。

この記事が出るまでにたくさんの苦労や実際には書けなかったことなどもあると思いますが、それでもこれだけの記事が新聞に載ったというのは本当に第一歩だと思いました。広河隆一の問題が明るみになったときに、こういった社会運動だからこその構造的な問題がもっと広く考えられるような動きになればいいと思っていたのがなかなか十分にはできなかったなという少し悔しい思いがあったのですが、またこれも一つのきっかけになるんじゃないかと思います。少しずつでも変えていけるように私も動いていきたいです。

小島氏が言うように、これは「第一歩」、始まりであり、終わりではない。沖縄から基地を減らしなくそうという運動、言論に参加してきた私としても、運動自体の中で女性やマイノリティの人権が侵害されるような運動ではいけないと思う。運動のためにもこのようなことが起きたら運動コミュニティー全体でしっかり向き合い、加害者が誠意を持って償うことが大事だ。見て見ぬ振り、なかったことにしてはいけない。

私のコラムで触れた「すべての馬鹿げた革命に抗して」のツイッターアカウントは、SEALDS運動に関与した女性たちによって始められたと、毎日新聞の記事(2020年11月8日)は報じている。女性たちはこうやって匿名で声を上げているのに男性たちはどうなのか。SEALDSに関わった男性たち、目撃した男性たちはどうして何も言わないのか。衝撃的な内容なのにもかかわらずフォロアーも2500人強、取り上げたメディアも毎日新聞だけで、社会的な注目を浴びているとは言い難い。

広河氏の被害者、沖縄の運動の被害者、SEALDSを含む日本全体のリベラル運動におけるハラスメントの被害者たちを孤立させず、自分たちの闘いのメッセージと言動が矛盾しない運動体を作り上げてこその運動だと思う。ある、運動内のハラスメントを目撃した女性はSNSで「左翼の運動業界はリベラルの皮をかぶった家父長制の権化」と言っていた。構造問題に目を向けながらも個々の事例に向き合い、被害者を孤立させずに、ハラスメントのない運動を築こう。

★★★

今回の件では他の沖縄メディアでもまだ後追い取材をしている様子はないし、運動の中でも静かな波が起こっている感覚はありますが概ねスルーされています。SNSでシェアしても「いいね」「大切だね」リアクションは一定数あっても、自分からシェアしたり声を上げる人はあまりいないです。

目をそむけないでください。無視しないでください。「貴重な記事を」とか「ご教示を感謝」とか言って関心のあるフリだけして行ってしまわないでください。「世の中には他にも重要なことがある」とか言って脱線させないでください。「自分はこういう記事を書いている」とか言ってきて、自己宣伝しないでください。私たちが提示する実例にまずは目を向けてください。被害者に思いを馳せてください。共に声を上げましょう。

21年10月7日 乗松聡子


2020年12月2日水曜日

「考える会」の性暴力報道のリテラシーとは (3)

ここまで「セクハラ報道と検証を考える会(以下、「考える会」)」による、日本の「性暴力」と報道について、2回にわたって取り上げ、「考える会」は、性暴力とその報道について、重要な点を見落としていることを明らかにしてきた。 


「考える会」の性暴力報道のリテラシーとは(1)


「考える会」の性暴力報道のリテラシーとは(2)


 今回は、性暴力と報道についての3回目として、「考える会」が「セクハラ報道と検証を考える会」という自身の団体の名称をはじめとして、日本語の「セクハラ」という用語を使って、広河氏の性暴力を矮小化していることについて見ていきたい。日本語の「セクハラ」表現は、英語の「セクシャルハラスメント」の語が長いため、その略称として、マスメディアなどで使われることもある。だが、「セクハラ」は、「セクシャルハラスメント」のように法的な定義や解釈が付随する表現とは異なり、さまざまな意味で使われており、男性中心的な社会では、往々にして、「軽微なもの」「大したことがない」と受け止められる可能性もつきまとう表現だ。


 「考える会」は、「『セクハラ報道と検証を考える会』設立の趣意」というブログ記事において、「各メディアはこうしたデリケートな問題(セクシャルハラスメントおよび性暴力)を報道する際、ジャーナリズム倫理や人権尊重に基づき、細心の注意を払って被害者救済を最優先に伝えるよう努めて」いるとし、自らも「日本における性被害をなくし、セクシャルハラスメント報道のリテラシーを考えていきたい」としている。さらに「考える会」は、「加害者を擁護し、被害者を傷つける報道」をしないために「言葉遣い」などに注意することが重要だというのだ。つまり「考える会」は、人権を尊重し、言葉遣いなどに細心の注意を払って、被害者救済に資するよう活動する団体だと標榜しているようだ。しかし、本当にそうなのだろうか。以下、疑問を呈していきたい。


「考える会」は、「ジャーナリズム倫理」や「人権尊重」などを一般論で論ずるときは「セクシャルハラスメント」という言葉を使っておきながら、以下で示す3つの記事例のように、広河氏が登場すると見出しまで含めて積極的に「セクハラ」表現を使うようになるようだ。広河氏が犯した加害の話になると、「ジャーナリズム倫理」や「人権尊重」を論じていたことを忘れたかのようだ。



1.   「週刊文春の広河氏セクハラ記事の取材録音を入手」


2. デイズジャパン最終検証報告書の検証(15)【NYタイムズと週刊文春】日本は告発型が主流 研究者や法律家も鵜呑みに 」


3. デイズジャパン最終検証報告書の検証(16)【NYタイムズと週刊文春】セクハラ被害者1人で4ページ」 



 1番目の記事は、『週刊文春』による広河記事を批判している「考える会」が、広河取材の録音を持っているということで、広河氏本人と極めて近い関係にあることを示すものである。見出しに「セクハラ」という表現を使って、広河氏の事件を軽く見せようとしている。


2番目と3番目の記事は、日本メディアと欧米メディアを対比し、日本メディアを低く見ることで、広河氏の加害に関する報道の信憑性を貶める内容だ。広河氏の加害を矮小化しようとして「大したことではない」というニュアンスを醸し出す「セクハラ」表現を使ったものだ。このように広河氏の事件を矮小化しようとする記事内容と見出しの「セクハラ」表現が符合していることから、「考える会」が、内容と表現の双方から広河氏の加害を矮小化し、広河氏を擁護しようとしているのが見て取れる。


 さらに、「考える会」の「セクハラ」表現の使用において、もう一つ重要なのが、団体の名称に「セクハラ」を使っていることだ。冒頭で確認したように、「考える会」は言葉遣いなどに細心の注意を払い、被害者を救済する団体であるかのように書いているが、その一方で、自身の団体の名称にあいまいな意味合いを持つ「セクハラ」表現を敢えて採用している。


「考える会」が広河氏など加害者の出てくる局面に限って「セクハラ」と表記するのは、加害者側に寄り添っているということだ。上記の3つの記事例や団体の名称は、日本語の「セクハラ」表現にさまざまな意味があることに乗じて、広河氏の性暴力を軽微なものと印象づけている。


もちろん、いかなる場合にも「セクハラ」という言葉を使うことがいけないと言っているわけではないが、「考える会」の使用例は、広河氏の性暴力を矮小化する目的で使っているようにしか見えない。



このように、ある時は「報道のリテラシー」をと言い、広河氏が出て来ると途端に、恣意的に「セクハラ」を使うという「考える会」による二枚舌の行動を見せつけられると、「考える会」の主張に説得力があるようにはとても思えない。「考える会」は、広河氏の事件を矮小化しようという真の目的を、人権やらジャーナリスト倫理やらを喧伝してカムフラージュしているだけではないだろうか。



 この連載の第1回では、性暴力と報道に関するガイドラインや基準がフェミニズム運動や女性学の成果であること、そして「考える会」はそうした背景知識に無頓着なままに海外の基準を中途半端に紹介していることを指摘した。第2回では、背景などすっとばしてただひたすらニューヨークタイムズ紙を褒めちぎる反面、広河氏の性暴力を報道した週刊文春の信憑性を貶めようとしていたことを記した。そして今回は、会の名称や広河記事に、恣意的に「セクハラ」表現を用いているのは、広河氏の加害行為を単なる軽い「セクハラ」と矮小化しようとしているという疑問を示した。



「考える会」は、「報道のリテラシー」を啓蒙する、「性被害をなくす」などと言っているが、このように陰湿な形で広河氏の加害を擁護しようとするなら、「報道についてのリテラシー」を語る資格などない。いわんや、「性被害をなくす」ための団体だなどという見え透いた口上は、広河被害者の方たちをどれだけ傷つけるか、想像に難くない。