2020年7月27日月曜日

「セクハラ報道と検証を考える会」の「検証」なるものについて(2)

お断り:本記事が公開された後に「セクハラ報道と検証を考える会」のブログが移転(新ブログはこちら)しているのだが、以下で検証の対象とした記事「【検証・週刊文春】強要を否定の田村記者、記事では一転「抗えないまま」に: 田村記者の取材と記事の検証(1)」は移転されておらず現在閲覧することができなくなっている。

前回に続き「セクハラ報道と検証を考える会」(以下「考える会」)の2020年3月8日付け記事「【検証・週刊文春】強要を否定の田村記者、記事では一転「抗えないまま」に: 田村記者の取材と記事の検証(1)」をとりあげ、その「検証」の内実を問いたい。今回扱うのは有料記事となる以下の部分である。
麻子さんのケース/田村氏「無理やりとは言っていないです」

智子さんのケース/田村氏「今回のお話では関係ないです」

智子さんのケース/田村氏「そのことは本人の口からは言っていませんでした」

『週刊文春』2020年1月3日・10日号に掲載された田村栄治氏による記事についてはこちらを参照していただきたい。

※麻子さんのケース/田村氏「無理やりとは言っていないです」

記事の記述が「麻子さんにNOという選択肢はなかった」となっているのに対し、取材中に田村氏が「そこは合意があったと僕は考えていいと思います」と発言していることが、「そのことと違う記事をなぜ書いた」のかと批判の対象となっている。
しかしこの田村氏の発言が広河氏の「望まない人間、そのまま嫌がる人間なんか、僕は連れて行きませんけど」(下線は引用者)という発言を受けたものであることを考えれば、この批判は当たらない。『週刊文春』の記事には次のような箇所がある。
 麻子さんによると、その夜、2人は新宿駅西口で落ち合ってタクシーに乗った。広河氏は「靖国通りに」「ここで曲がって」などと運転手に指示し、歌舞伎町のホテル街へと車を向かわせた。入口に噴水があるホテルに入り、麻子さんは広河氏とセックスをした。終えると、電車で帰宅したという。
「考える会」がとりあげているやりとりはこのうち「ホテルに入り」までの経緯についてである。田村氏が「そこ」と言っているのも同様である。記事でもホテルに着くまでに明示的な「ノー」の意思表示があったとは(そしてそれを広河氏が無視したとは)書かれていない。「考える会」が「ホテルにまでついていったのだから性行為についても同意していたのだ」を暗黙の前提としているのではないか、という疑惑が湧く。そのような前提を排するなら「そこは合意があったと僕は考えていいと思います」と(性行為について)「NOという選択肢はなかった」の間には矛盾は存在しないからである。
なお「考える会」が「望まない人間、そのまま嫌がる人間なんか、僕は連れて行きませんけど」として引用している広河氏の弁明については、『週刊文春』の記事でも、田村氏と広河氏のやりとりを抜粋した部分で(きちんと読めば麻子さんのケースであることがわかる文脈で)「望まない人間を僕は無理やりホテルに連れて行きません」というかたちで紹介されている、ということも申し添えておく。

※智子さんのケース/田村氏「今回のお話では関係ないです」

『週刊文春』の第1弾記事で「この2人の他にも、広河氏にヌード撮影をされたと証言する女性がいる」として3番目に登場する女性に関する「考える会」の主張は、録音によれば「ヌード撮影したのには合理的な理由」があったことがわかるのに田村氏はそれを記事に書かず、「あたかも広河氏がヌード撮影を強要したように印象付け」た、というものである(ただしその「合理的な理由」については「プライバシーにかかわるため公開しません」とされており、読者には伺い知れないものとなっている)。また取材中に田村氏はこの女性について「その方は、そのことはぼやかしています。その方は性被害については...」「その方は性被害、その方じゃない方で」と発言し、広河氏の「放射能汚染のときに、現地に連れて行って汚染の酷いところに入った、と。そのことで僕を訴えている人 なんですね、その人は。それは性被害とは関係ないんですね」という問いに対しても「はい。今回のお話では関係ないです」と答えた、とされている。
しかし『週刊文春』の記事を読めば、「途中で広河さんの鼻息が荒くなってきて、気持ち悪くなりました」という女性の記憶や「今夜は部屋を取ってあるから」という広河氏の誘いかけについての証言は記されているものの、このケースで広河氏がヌード撮影を“強要”したとは書かれていないことがわかる。この女性のケースは次のような主張を導くために紹介されているのである(下線は引用者)。
 こうしたヌード撮影は当事者間の合意があれば問題ないと考える人もいるかもしれない。しかし、「写真を職業とする者が立場を利用して私的に求めるのは、職業倫理にもとるセクハラ行為」という認識が、欧米などのメディアで活動する写真家たちの間では確立されている。
普通に読めば、このケースは先の2つのケースと同じような“強要”とは言えないかもしれないが、だからといって問題ないというわけではない……という扱いをされていることは明白だろう。智子さんも「どういうふうに撮られるのか興味もありました」と証言すると同時に「これからお世話になる師匠なので断りにくかったですし」とも語っており、広河氏の優越的な地位が影響していたことを伺わせる。また警戒区域での強引な撮影については(この女性に対する)ヌード撮影よりもはるかに多くの文字数を割いてとりあげられており、「性被害」よりも広河氏のパワハラ体質に力点をおいた記述になっている。その意味で田村氏の「はい。今回のお話では関係ないです」という発言と記事とに齟齬はない。

※智子さんのケース/田村氏「そのことは本人の口からは言っていませんでした」

これはデイズジャパン検証委員会「報告書」の次のような箇所に関係した主張である(94〜95ページ)。
(6) アシスタント女性からの抗議
ア 証言
〔中略。警戒区域での強引な撮影とそのことを『DAYS JAPAN』編集部に抗議した経緯についての証言が紹介されている。引用者〕
イ 広河氏の対応
 検証委員会が関係者に「広河氏のハラスメントについて何か聞いたことはないか」と尋ねたのに対し、限られた調査範囲の中であるにも関わらず 5 人もの人が「原発近くに連れていかれたとして女性から抗議を受けたという件は知っているが、それについては広河さんから後日、その女性から勘違いだったと謝罪されたと聞いている」と述べた。このことからすれば、広河氏は周囲に「あの時の女性からは後日謝罪を受けた」と何度も繰り返し話していたのだろうと思われる。
 この「謝罪」とはどういうことだったのか、当該女性にどのようなことだったのか確認したところ、以下の通りだった。その女性は広河氏によって、事前に約束もなかったのに放射線量が高い原発近くに連れていかれたことや、ヌード写真を撮影されることを断れなかったことなどを知人に相談していた。広河氏に抗議した後、相談を聞いた人から「聞かなかったことにしてほしい」「(この業界 で仕事をしたいなら)広河さんとの関係は修復したほうがいい」という趣旨のことを言われたことが あり、弱気になってしまっていた時期、偶然、デイズジャパン社の近くのカフェで広河氏と顔を合わせてしまう機会があった。その際女性は、動揺したこともあり、挨拶した上で、「福島でのことは別に、今後も仕事ではよろしくお願いします。先日は感情的になってしまいました」という趣旨のことを述べたことはあったが、原発近くに連れていかれたこと自体の抗議を撤回する趣旨では全くなかった。
 検証委員会は、女性からそのことを確認したことを広河氏に伝え、「女性は、あなたに抗議したことを勘違いだったと撤回したわけではないと言っているが」と伝えたが、広河氏は「私は謝罪と受け取った」と反論した。
「考える会」が録音から引用しているのは、この「謝罪」について田村氏が女性に「確かめ」たのかと広河氏が問うたところ田村氏が本人からは聞いていないと返答、さらに執拗に問いただす広河氏に対して田村氏が「それは、いまのお話は、性被害のお話しですか? 広河さん、その方の性被害は僕は今問題にしてないんですよ」と問い返すまでのやりとりである。「考える会」の意図は必ずしも明らかではないが、目次において田村氏の「そのことは本人の口からは言っていませんでした」という発言が強調されていることを踏まえると、女性の抗議に対して広河氏が編集長降板を約束したにもかかわらずその約束が反故にされた、という趣旨の記述が『週刊文春』の記事にあることを問題にしているのであろう。女性から「謝罪」があったのなら降板の約束も無効ではないか、というわけだ。
しかし田村氏から見れば、女性が自分の取材に対して編集部への抗議について話している以上、「謝罪」して抗議を撤回したという認識を持っていないことは、改めて問うまでもなく明らかなことであろう。「考える会」が引用したやりとりはむしろ、警戒区域でどのような取材を行ったかという事実よりも、自分に対する「謝罪」の有無にこだわる広河氏の姿勢について強い印象を残す。仕事のうえで強い影響力をもつ広河氏との関係の破綻を避けようとする若い女性の言葉を「謝罪」だと受け止める広河氏の姿を強調することは、広河氏が自身の優越的な立場にいかに無自覚であるかを示すことになりかねないと思われるのだが、「考える会」にはそのような認識が欠けているようである。


2020年7月21日火曜日

「セクハラ報道と検証を考える会」の「検証」なるものについて(1)

お断り:本記事が公開された後に「セクハラ報道と検証を考える会」のブログが移転(新ブログはこちら)しているのだが、以下で検証の対象とした記事「【検証・週刊文春】強要を否定の田村記者、記事では一転「抗えないまま」に: 田村記者の取材と記事の検証(1)」は移転されておらず現在閲覧することができなくなっている。

2020年の1月から note 上で活動を始めた「セクハラ報道と検証を考える会」(以下「考える会」)。会の名称からすると「セクハラ」報道一般に関する問題意識から発足しているようにみえるが、設立の趣意を記した記事ではデイズジャパン検証委員会の「報告書」を「検証」することが目的として掲げられ、現にその後2ヶ月半の間に公開された記事の大半は検証委員会「報告書」を批判するものとなっている。事実上広河隆一氏を擁護することを目的として活動してきた、と言っても過言ではないだろう。
本稿では「報告書」批判ではない数少ない記事の一つである「【検証・週刊文春】強要を否定の田村記者、記事では一転「抗えないまま」に: 田村記者の取材と記事の検証(1)」をとりあげ、「考える会」の「検証」の内実を検証してみたい。なお、2020年3月8日に「(1)」が公開された後、本稿執筆時点まで「(2)」以降は公開されていない。

この記事で「検証」の対象となっているのは『週刊文春』2020年1月3日・10日号に掲載された田村栄治氏による記事(その電子版はこちら)である。「考える会」が「関係者」から入手したという田村氏と広河氏のやりとりの録音が参照されており、その録音の一部はこちらで公開されている。記事の目次は以下の通りである。
杏子さんのケース:田村氏「強要とは言っていません」

杏子さんのケース:田村氏「無理やり撮ったとは言っていない」

麻子さんのケース/田村氏「無理やりとは言っていないです」

智子さんのケース/田村氏「今回のお話では関係ないです」

智子さんのケース/田村氏「そのことは本人の口からは言っていませんでした」

4人の女性のケース/田村氏「これもね、片方の話ですけども」

立場を利用したハラスメント行為のケース/裏取りの痕跡は記事になし

谷口真由美氏、事実を創作して広河氏を批判


「杏子さんのケース:田村氏「強要とは言っていません」
」で問題とされているのは、録音された次のようなやりとりである(強調は原文)。
田村:(ホテルの)部屋に行ったら、その場で、入ったらすぐのように関係を持たされた、と。
広河:強要したんですか?
田村:いや強要とは言っていません。まぁ、本人は、断る間もなく、という言い方をしてますけども。そこは、広河さんそういうことは…
広河:断る間もなく、そういうことをするってあり得ないですよ。
田村:そうですか。まぁ、それは本人がおっしゃっていたことなんですけど。
これに対して『週刊文春』記事では「あっという間にベッドに移動させられ、抗えないままセックスが終わった」となっており、内容が「符合」しないというのだ。
しかしこれは明らかに言いがかりというものであろう。仮に広河氏の「強要したんですか?」という問いに対して田村氏が「そうですね」などと答えていたら「考える会」はどうコメントしただろうか? 「田村氏は予断をもって取材していた」と批判するのではないだろうか? 一方の当事者である広河氏に取材するにあたって、もう一方の当事者である杏子さんの主張に対する取材者の最終的な判断を留保しておくことは当然である。この時点で田村氏が「強要したとは言ってません」と発言し、取材の結果記事を執筆する際に「強要があった」と(執筆者および編集部の責任において)判断しそう書いたとしても、そのことだけで不誠実と謗られるいわれはあるまい。まして田村氏は「強要した」という書き方は避け、あくまで杏子さんの認識として「抗えないまま」と書いているのである。


「杏子さんのケース:田村氏「無理やり撮ったとは言っていない」
」の場合も同様である。杏子さんら複数の被害者から“裸の写真を撮られた”という訴えがあることについて、録音では広河氏の「嫌がっているのを、僕が無理やり撮ったということですか?」という問いに対して田村氏が「そうは言っていないですけど」と答えていることをとりあげ、記事中で「とくに断りもなく何枚か撮られた」という杏子さんの証言を引用していることが問題視されている。しかし『週刊文春』の記事は広河氏に取材した時点での田村氏の心証を記しているのではなく、広河氏への取材を終えたうえでの田村氏の心証に基づいて書かれているのであるから、両者が「符合しない」というのは無意味な主張であろう。

さらに田村氏は裸の写真を撮った理由を執拗に尋ねたとし、つぎのようなやりとりを紹介している。
田村氏:なぜ裸じゃなければ駄目なんですか?
広河:裸じゃなきゃダメだなんて僕は言っていません。これ以上その質問に対しては腹が立ってきます。……あなたの中で女性の裸に興味がまったくないんだったら別ですが。
「考える会」としては広河氏を擁護する目的で紹介したのであろうこのやりとりから、性暴力に関する広河氏の認識の甘さを読み取ることができると当会は考える。写真であれ映画や絵画や彫刻であれ、人間の裸をモチーフとすることはモデルにとって侵襲的たりうる手法であって、「裸」であることの必然性や制作プロセスの適正さが問われることはいまや常識と言ってよい。2018年には写真家・荒木経惟氏のモデルをつとめていた女性がネットで荒木氏によるハラスメントを告発していることを広河氏と「考える会」は知らなかったのだろうか? 
また、「女性の裸に興味がまったくないんだったら別ですが」という広河氏の発言は田村氏の“劣情”に訴えかけて自己弁護する目論見なのだろうが、広河氏がヘテロセクシズムを、そして「女の裸に興味を持ってこそ男」という男性観を自明の前提としていることが露呈してしまっている。


「田村記者の取材と記事の検証」のこれ以降の部分は有料となっているので、また稿を改めてとりあげることにしたい。



2020年7月8日水曜日

広河氏の言いたい放題を許した『DAYS JAPAN』最終号の責任(『週刊金曜日』2019年4月12号掲載)

前投稿につづき『週刊金曜日』2019年4月12日号(1228号)掲載の特集「広河隆一氏による性暴力・パワハラと『DAYS JAPAN』最終号を考える」からの転載です。

この特集は以下の3本立てになっていました。

  1. 扱われなかったパワハラと劣悪な労働環境の問題 渡部睦美
  2. 加害の事実認定なしのまま、なぜ「報告」できるのか 角田由紀子
  3. 広河氏の言いたい放題を許した最終号の責任 乗松聡子

このうち週刊金曜日から転載許可が出たのが、2と3の記事でした。本ブログの前投稿では2.の角田由紀子弁護士のインタビュー記事を転載しました。今回は、3.の乗松聡子の記事を転載します。

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『週刊金曜日』2019年4月12日号より



広河氏の言いたい放題を許した最終号の責任


乗松聡子



- 掲載された広河隆一氏の主張は、性暴力加害者に有利な日本の刑法規定にのっとってなされているかのようだ。それにお墨付きを与える格好の『DAYS JAPAN』最終号の責任は重い。

 昨年12月30日、『琉球新報』に「広河隆一氏の性暴力 女性差別抜け落ちた『人権』」という記事を書いた。記事の中で、「合意のない性行為(=レイプ)」、「(広河氏は)合意なしの性関係を行った」と書いたことから、ある男性ジャーナリストに、「(広河氏が)レイプして犯罪をおかしたと言っていると受け取られる」と問題視された。
 その後その記事の英語版を発表したが、翻訳中に、原稿を読んだ米国のある女性学者から、「『合意なしの性関係を持った』ってレイプのことだろう。どうしてそのまま『レイプ』と言わないのか」と尋ねられた。同じ内容でも、日本と北米で前者は「言い過ぎだ」、後者は「言い足りない」と、正反対とも言える反応が返ってきたことは象徴的だった。
 新年、地元のカナダ・バンクーバーの大学を訪ねたとき、受付横に貼られていた「合意とは」というポスターに目を引かれた。「合意とは何か?言葉で示さなければいけない(拒否の不在ではない)。明確でなければいけない(思い込みではない)。意識のあるときに示したものでなければいけない(意識のないときには与えられない)。自由な状況で与えられなければいけない(脅迫や強制では違う)。連続的でなければいけない(いつでも撤回できる)」と。
 カナダの刑法における「性的暴行」の条項には、「合意とはみなされない」項目の一つとして、「被疑者が、信頼される立場や、権力や権威を乱用して、被害を訴えた人を誘導して行為に及んだ場合」と明記されている。『週刊文春』『毎日新聞』『共同通信』などで報道された広河氏についての被害者の告発は、まさしくこれに当てはまる。
 もちろんカナダもまだポスターで啓蒙しなければいけないような社会なのだろう。しかし日本の場合、今年3月26日に、参院予算委員会で日本における性暴力について質問した辰巳孝太郎参議院議員が「(強制性交等罪を問う際の)最大の問題は被害者の合意・不合意を、暴行・脅迫の有無に限定してしまっている今の刑法にある」と述べたように、加害者を利する刑法が変更されないでいるのだ。
 広河氏はまさしく、この日本の法の遅れを利用しているかの如く、「暴行の不在」と「合意」を主張し続けている。

「加害者に語らせる」

 そうした中、2月8日発売の月刊誌『世界』3月号は、広河氏の性暴力をテーマにし、フェミニスト作家の北原みのり氏と「職場のハラスメント研究所」代表の金子雅臣氏の対談を掲載した。だが対談は、ほとんどが一般論に終わった。
 対談記録の第一声は、北原氏の「よくある事件がまた起きた」という言葉だった。しかし、この事件は、その性暴力、パワーハラスメントの質と数においても、広河氏が日本のリベラル派のジャーナリズムを代表する人間の一人であったということにおいても、業界全体を震撼させるような大事件であり、「またか」で済む話ではない。
 とりわけ、金子氏が、「(加害側の)男性に語らせないといけない」と、「加害者に語らせる」ことを重視していたのは大きな疑問だ。「日本の場合、とにかく加害者に語らせないですよね。それどころか、告発者探しをして、被害者にマイクを突き付けてしまう」と述べた。日本がいつ被害者ばかりに語らせる国になったのか。広河氏の事件も告発者がいたからこそ明るみになったが、告発者は氷山の一角だろう。
 金子氏は、遡る2018年8月号の『世界』記事「セクハラという『男性問題』」で、男性が告発に応じるべきだという文脈で、「伊藤詩織さんのケースを見ても、相手の山口敬之氏は逃げ回り、正面切って対峙しようとしない。本当に自分は潔白であるというのなら、告発に対峙し主張すべきです。裁判を起こせば良いのに、それもやらない」と述べている。実際、山口氏は3月6日、SNS上で、伊藤氏に対し名誉棄損訴訟を起こしたと報告している。金子氏は、この山口氏の行動に賛同するのか。

繰り返される二次加害

 そして、その後起こったことは、『世界』対談が敷いた路線、つまり加害者に語らせ、個別の責任追及を避けるかのごとくの「構造問題」に飛ばす路線を辿ることになる。実際、この金子氏自身が「検証委員会」の委員長に就任したのだから、当然の帰結だったともいえる。
 3月7日発売の月刊誌『創』4月号で広河氏は8ページにわたる手記を発表し、加害者が語りたい放題の場となった。広河氏は「全てを失うことになった」と、自己を被害者化しながら、「セクハラ、性暴力、パワハラについて書かれた様々な本を読み始めた」と勉強していることをアピールした。しかし、本当は違うとでも言いたげなカッコ付の「性暴力」の表記を徹底し、執拗に性暴力の否定と「合意」があったとの主張、事実関係の未確認という、セカンドレイプ(二次加害)のパターンを繰り返した。
 そして3月20日、予定より一か月遅れで出た『DAYS JAPAN 』最終号。「『広河隆一性暴力報道を受けて』 検証委員会報告」と呼ぶ「第一部」は、被害者側の聴取は一切なしで、『創』のセカンドレイプを繰り返す増幅版のような内容となっている。
 Q1からQ8までの、広河氏の弁明の後、「考察」と称した検証委による批判が延々と展開されるが、氏に返答を求めたり追及したりした様子もない。さらに、「考察」には、被害者の気持ちを「想像に難くない」「容易に推測できる」といった表現で代弁を試みる箇所が多数ある。『週刊文春』の2回にわたる記事で告発した8人の被害者のうち、検証委から連絡を受けていたのは2人だけだったという(3月14日発売同誌)。検証委は被害者に連絡する十分な努力も行わずして、被害者の勝手な代弁をしていたことになる。
 「検証委員会」として任命されたグループは、この事件の理解に対して公的責任を負う。その委員会が、『創』のセカンドレイプに事実上のお墨付きを与えたようなものを最終号に出した責任は重大だ。

結果として責任逃れに加担

そして「責任編集」者、林美子氏ともう一人の外部編集者、岩崎眞美子氏による「第二部」は、「#MeToo特集」という位置づけのようだが、「#MeToo」とは本来、被害者が具体的な事件を告発して加害者を特定し、責任追及する連鎖のことを指していたのではなかったのか。広河氏の被害者たちが行ったこともまさしくそれであった。それなのに、広河氏の事件の検証にもなっていない検証委の記事とセットで、構造議論中心の識者談話集と、広河氏ではない他の事件の被害者の声を集め、最後は取ってつけたような『世界の#MeToo』写真でページを埋めた。これは全体的に個別責任を拡散し、広河氏や株式会社デイズジャパンの責任逃れに加担した結果となったのではないか。
 林氏は、第二部の記事「広河氏の性暴力をどう考えるか」の冒頭では、過去に広河氏を取材した経験を語りながら氏の仕事を肯定しているように見える。そもそもこれだけ広河氏と交流のあった人が、検証の目的を持つ最終号の「責任編集」を担当できるのか。林氏は「2月に広河氏と3回会い、事件についてやり取りした」とも述べているが、やり取りの内容も報告しておらず、疑問が残る。
 さらに、岩崎氏の担当で、数々の性暴力やセクハラ事件の被害証言を匿名で集めた「声なき声の当事者たち」についてだが、肝心の広河氏の被害者が不在の最終号の中で、この特集はその不在を埋め合わせるかのように見える。内容は深刻なものばかりだ。岩崎氏自身も、解説文で、フラッシュバックを経験した人、このようなアンケート調査の「暴力性」を指摘した人に触れている。証言者にここまでの心理的負担を負わせてまで、必要な特集だったのだろうか。
「検証」は今後どうなるのか。今、被害者たちには検証委員会からの聞き取り依頼が来ているようだ。広河氏の被害者たちの「声なき声」こそ隠さず拾い集めた上で「検証」を行い、加害者の責任追及をすることが、真の「#MeToo」と言えるのではないか。


のりまつ・さとこ ピース・フィロソフィー・センター代表(カナダ)。『沖縄は孤立していない』(金曜日、2018年)編著。『琉球新報』にコラム「乗松聡子の眼」を連載。HP:peacephilosophy.com


『週刊金曜日』2019年4月12日(1228号)pp.44‐45より、編集部の許可を得て転載



[写真説明:上/エミリー・カー美術デザイン大学の校内に張られた「コンセント(合意)とは」何かというポスター(右)。下/共産党の辰巳孝太郎氏。国連の立法ハンドブックが、〈加害者側に合意の証明を要求するべき〉としていることに言及し、「暴行・脅迫用件の撤廃」を訴えた。]