2020年7月21日火曜日

「セクハラ報道と検証を考える会」の「検証」なるものについて(1)

お断り:本記事が公開された後に「セクハラ報道と検証を考える会」のブログが移転(新ブログはこちら)しているのだが、以下で検証の対象とした記事「【検証・週刊文春】強要を否定の田村記者、記事では一転「抗えないまま」に: 田村記者の取材と記事の検証(1)」は移転されておらず現在閲覧することができなくなっている。

2020年の1月から note 上で活動を始めた「セクハラ報道と検証を考える会」(以下「考える会」)。会の名称からすると「セクハラ」報道一般に関する問題意識から発足しているようにみえるが、設立の趣意を記した記事ではデイズジャパン検証委員会の「報告書」を「検証」することが目的として掲げられ、現にその後2ヶ月半の間に公開された記事の大半は検証委員会「報告書」を批判するものとなっている。事実上広河隆一氏を擁護することを目的として活動してきた、と言っても過言ではないだろう。
本稿では「報告書」批判ではない数少ない記事の一つである「【検証・週刊文春】強要を否定の田村記者、記事では一転「抗えないまま」に: 田村記者の取材と記事の検証(1)」をとりあげ、「考える会」の「検証」の内実を検証してみたい。なお、2020年3月8日に「(1)」が公開された後、本稿執筆時点まで「(2)」以降は公開されていない。

この記事で「検証」の対象となっているのは『週刊文春』2020年1月3日・10日号に掲載された田村栄治氏による記事(その電子版はこちら)である。「考える会」が「関係者」から入手したという田村氏と広河氏のやりとりの録音が参照されており、その録音の一部はこちらで公開されている。記事の目次は以下の通りである。
杏子さんのケース:田村氏「強要とは言っていません」

杏子さんのケース:田村氏「無理やり撮ったとは言っていない」

麻子さんのケース/田村氏「無理やりとは言っていないです」

智子さんのケース/田村氏「今回のお話では関係ないです」

智子さんのケース/田村氏「そのことは本人の口からは言っていませんでした」

4人の女性のケース/田村氏「これもね、片方の話ですけども」

立場を利用したハラスメント行為のケース/裏取りの痕跡は記事になし

谷口真由美氏、事実を創作して広河氏を批判


「杏子さんのケース:田村氏「強要とは言っていません」
」で問題とされているのは、録音された次のようなやりとりである(強調は原文)。
田村:(ホテルの)部屋に行ったら、その場で、入ったらすぐのように関係を持たされた、と。
広河:強要したんですか?
田村:いや強要とは言っていません。まぁ、本人は、断る間もなく、という言い方をしてますけども。そこは、広河さんそういうことは…
広河:断る間もなく、そういうことをするってあり得ないですよ。
田村:そうですか。まぁ、それは本人がおっしゃっていたことなんですけど。
これに対して『週刊文春』記事では「あっという間にベッドに移動させられ、抗えないままセックスが終わった」となっており、内容が「符合」しないというのだ。
しかしこれは明らかに言いがかりというものであろう。仮に広河氏の「強要したんですか?」という問いに対して田村氏が「そうですね」などと答えていたら「考える会」はどうコメントしただろうか? 「田村氏は予断をもって取材していた」と批判するのではないだろうか? 一方の当事者である広河氏に取材するにあたって、もう一方の当事者である杏子さんの主張に対する取材者の最終的な判断を留保しておくことは当然である。この時点で田村氏が「強要したとは言ってません」と発言し、取材の結果記事を執筆する際に「強要があった」と(執筆者および編集部の責任において)判断しそう書いたとしても、そのことだけで不誠実と謗られるいわれはあるまい。まして田村氏は「強要した」という書き方は避け、あくまで杏子さんの認識として「抗えないまま」と書いているのである。


「杏子さんのケース:田村氏「無理やり撮ったとは言っていない」
」の場合も同様である。杏子さんら複数の被害者から“裸の写真を撮られた”という訴えがあることについて、録音では広河氏の「嫌がっているのを、僕が無理やり撮ったということですか?」という問いに対して田村氏が「そうは言っていないですけど」と答えていることをとりあげ、記事中で「とくに断りもなく何枚か撮られた」という杏子さんの証言を引用していることが問題視されている。しかし『週刊文春』の記事は広河氏に取材した時点での田村氏の心証を記しているのではなく、広河氏への取材を終えたうえでの田村氏の心証に基づいて書かれているのであるから、両者が「符合しない」というのは無意味な主張であろう。

さらに田村氏は裸の写真を撮った理由を執拗に尋ねたとし、つぎのようなやりとりを紹介している。
田村氏:なぜ裸じゃなければ駄目なんですか?
広河:裸じゃなきゃダメだなんて僕は言っていません。これ以上その質問に対しては腹が立ってきます。……あなたの中で女性の裸に興味がまったくないんだったら別ですが。
「考える会」としては広河氏を擁護する目的で紹介したのであろうこのやりとりから、性暴力に関する広河氏の認識の甘さを読み取ることができると当会は考える。写真であれ映画や絵画や彫刻であれ、人間の裸をモチーフとすることはモデルにとって侵襲的たりうる手法であって、「裸」であることの必然性や制作プロセスの適正さが問われることはいまや常識と言ってよい。2018年には写真家・荒木経惟氏のモデルをつとめていた女性がネットで荒木氏によるハラスメントを告発していることを広河氏と「考える会」は知らなかったのだろうか? 
また、「女性の裸に興味がまったくないんだったら別ですが」という広河氏の発言は田村氏の“劣情”に訴えかけて自己弁護する目論見なのだろうが、広河氏がヘテロセクシズムを、そして「女の裸に興味を持ってこそ男」という男性観を自明の前提としていることが露呈してしまっている。


「田村記者の取材と記事の検証」のこれ以降の部分は有料となっているので、また稿を改めてとりあげることにしたい。



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