同書のポイントは、著者らが#MeToo運動やフェミニズム運動に親和的な立場から、被害女性らが性暴力を告発し、報道につながる経緯及びその後の社会の変化をも丁寧に記し、性暴力と闘うためにはどうしたらいいかを読者に考えさせていることだ。さらに、告発する女性を支えるさまざまな女性たちの連帯にスポットを当てている点も特筆に値する。住む場所も職業も全く異なり、これまで会ったこともなかった被害女性たちがカリフォルニアにある女優のプライベートな住居に集まる終章は、女性たちの連帯が実感でき、感動的ですらあった。
同書は、性暴力に切り込んだ優れたルポルタージュとして書評でも評価され、よく読まれているようである。同書の翻訳を担当した古屋美登里氏は、嫌がらせのない世の中になるよう、女性たちのために翻訳を決意したと語っている。このように同書の日本語版は、主に、性差別を明るみに出すジャーナリズムや性暴力の問題という点から読まれているようであるが、本来、同書はもっと幅広い視点から読まれるべき価値をもった書である。
同書が本来もっていたはずの価値が、日本語版では、古屋美登里氏による翻訳の際、同氏の解釈により狭められ、歪曲されているのだ。日本語版が持つ深刻な問題は以下の2点である。
1)原著は#MeToo運動やフェミニズム運動に親和的であり、敬意も払っている。だが翻訳により、フェミニズム運動を軽視し、著者らもフェミニズムに否定的であるかのような内容に改変された箇所がある。
2)翻訳により、性暴力、性犯罪の被害者を貶めるような内容に改変されている。
本稿では、<その1>で、フェミニズム運動を軽視し著者らのスタンスを歪曲している点について、<その2>で、性暴力被害者を貶めている点について、と日本語版が持つ二つの深刻な問題を2回に分けて指摘していきたい。そして、<その3>で、本ブログで度々取り上げている「セクハラ報道と検証を考える会」の木村嘉代子氏による同書書評「性犯罪を『正しく』暴く」 ジャーナリズムの神髄」(『週刊金曜日』(2021年1月29日号)の問題点を示す。
なお「セクハラ報道と検証を考える会」は、広河隆一氏の性暴力事件の被害者を疑い、その報道及び、検証報告書を批判し続けることによって加害者である広河隆一氏の事実上の擁護者となっている団体だ。また木村氏は、同会のブログ記事の大半を書いてきたと自ら暴露した人物である。
そもそも本書に注目したのは、木村嘉代子氏が同会のブログで度々本書を引用しつつ、自説を展開してきたこと、そして本書の書評を週刊誌に書いていたことが発端であった。
1) フェミニズム運動に対して否定的な邦訳への改変
まず、タイトルについて見ていくと、原著は、She Said:Breaking the Sexual Harassment Story That Helped Ignite a Movement と性暴力の被害に遭った女性たちが沈黙を破り語ったことを報道し、その後の#MeToo運動の広がりに大きく寄与したことをそのままタイトルにしたものだ。だが、日本語版は『その名を暴け #MeTooに火をつけたジャーナリストたちの闘い』と、ジャーナリストたちが加害者の名前を明るみに出すために闘ったという扇情的なタイトルに置き換えられている。日本語タイトルでは、原題にあった「運動(Movement)」という単語が消え、「#MeToo」になっている。これが問題なのは、日本語版の「#MeTooに火をつけたジャーナリストたちの闘い」では、著者らジャーナリストたちだけが主役として加害者と闘ったかのようなストーリーに変わっており、一人ひとりの女性の性暴力被害が語られ(She Said)、それを報道することによって、セクシュアル・ハラスメントの問題が浮き上がり、集合的な運動(Movement)へとつながっていったという、原題で浮き彫りにされている女性たちの連帯への動きが見えなくなってしまうからだ。
日本語版の翻訳内容にも原著から改変された箇所が散見される。日本語版の「はじめに」は、新潮社サイト、並びに文春オンラインで公開されているので、公開部分と原著とを照らし合わせて問題点を指摘していきたい。まず、原文で明記されていた「フェミニズム運動への敬意と連帯」が、日本語訳による誤訳及び改変により、薄められ、かつ著者らをフェミニズム運動と切り離し、フェミニズムに批判的であるかのように表現された箇所を見ていこう。
ジャーナリズムは、確かにこれまでもパラダイム・シフトを起こす役割を担ってきた。とはいえわたしたちの仕事は、変化の有様(ありさま)を伝えるだけのことで、その変化自体を長年にわたって作り上げてきたのは、先駆的なフェミニストや法律学者たちだった。アニタ・ヒル〔一九九一年、米上院司法委員会で、最高裁判事候補になっていたクラレンス・トーマスからかつて受けた性的嫌がらせについて証言した女性〕や市民活動家で#MeToo運動の創始者タラナ・バーク、さらには同業のジャーナリストたちなど、大勢の人々のおかげなのである。(『その名を暴け』p.6)Journalism had helped inspire a paradigm shift. Our work was only one driver of that change, which had been building for years, thanks to the efforts of pioneering feminists and legal scholars; Anita Hill; Tarana Burke, the activist who founded the #Me Too movement; and many others, including our fellow journalists. (Kantor, Jodi; Twohey, Megan. She Said (pp.2-3). Penguin Publishing Group. Kindle 版. )
フェミニズムとのつながりを示している箇所が誤訳されている。“Our work was only one driver of that change, which had been building for years”の邦訳「わたしたちの仕事は、変化の有様(ありさま)を伝えるだけ」 は、正確な訳ではない。著者は、ジャーナリストたちも変化の推進力の一翼である、とジャーナリストを社会変革を起こす力の内部に位置づけているのだ。しかも、アニタ・ヒル、タラナ・バークというパイオニアとして性暴力と闘ったブラック・フェミニストたちの名を挙げ、社会変革は彼女ら先達が作り上げてきたものだとも述べ、フェミニズム運動の歴史に尊敬の念を示している。この点も原著では特筆される点だ。そして最後にもう一度、同僚のジャーナリストたちに言及している。こうした原文は、著者らジャーナリストたちがフェミニストたちの闘いに連なることを示したものだと言えよう。だが、原文ではアニタ・ヒルとタラナ・バークの名前を挙げ、あくまでその後に "many others" が来ているのに対し、邦訳だと「大勢の人たちのおかげなのである」という文末が目立つことになっている。邦訳では、ヒルとバークらフェミニストの貢献が薄められ、またジャーナリストがフェミニストの動きとともにあるという含意が読み取れなくなっている。
古屋氏は、「ジョディとミーガンの視点に立って、2人の感じた世界をそのまま翻訳しているつもり」、「「口寄せ」のような感覚」で翻訳に臨んだと語っている。しかし古屋氏による実際の翻訳は、原著者がフェミニズム運動、特にブラック・フェミニストたちへの敬意と連帯を示している箇所が、誤訳により敬意が薄められるとともに、ジャーナリストをフェミニズム運動と切り離し、ジャーナリストたちもフェミニズム運動と連なっているという記述がなかったことにされている。日本語版が、原著著者らの依って立つ立場をフェミニズムとは無縁であるかのように改ざんしているのは、著者らの意図を大きく歪曲した誤訳と言えよう。
次に、誤訳によって、#MeToo運動を貶めている箇所を紹介する。
ワインスタイン報道が世に出てから数ヶ月も経たずに、#MeToo運動が爆発的な勢いで拡がり、デート・レイプから子どもへの性的虐待、男女差別、さらにはパーティでの出会いに至るまで、さまざまな問題が議論されるようになった。そのおかげで公共の場での会話は豊かになり真剣味を増したが、一方で混乱を招くことにもなった。つまり、この運動の目的は性的嫌がらせを根絶することなのか、刑事裁判システムを改革することなのか、家父長制を打ち砕くことなのか、それとも相手の感情を傷つけずに恋をすることなのか、と。その結果、裏付けのない証拠のせいで、あるいはそこまでいかなくとも、組織の変化が絶望的なまでに欠けているせいで、罪のない男性たちを傷つけることになってしまったのではないか。(『その名を暴け』 p.9)In the months after we broke the Weinstein story, as the #MeToo movement exploded, so did new debates about topics ranging from date rape to child sexual abuse to gender discrimination and even to awkward encounters at parties. This made the public conversation feel rich and searching, but also confusing: Were the goals to eliminate sexual harassment, reform the criminal justice system, smash the patriarchy, or flirt without giving offense? Had the reckoning gone too far, with innocent men tarnished with less-than-convincing proof, or not far enough, with a frustrating lack of systemic change?(She Said , p.4)
このパラグラフ最後の原文の意味は、文脈からして「説得力のない証拠で無実の男性たちの名誉を毀損してしまう結果になってしまっているのか、逆に問題意識が足りないために、システム的な変革がイライラするほど遅い結果になってしまっているのか」となるはずだと思われる。だが日本語訳では、「その結果、裏付けのない証拠のせいで、あるいはそこまでいかなくとも、組織の変化が絶望的なまでに欠けているせいで、罪のない男性たちを傷つけることになってしまったのではないか。」とある。ワインスタイン報道、そして#MeToo運動が起きた結果、無実の男性たちが証拠もないのに、さらに組織の変化も起きないなど別の理由もあって傷つけられていると、邦訳では「罪のない男性」の「傷」が強調されるようになっているのは、構文の取り違えによる誤訳と思われる。
誤訳の結果として、#MeToo運動が冤罪を引き起こしかねない、行き過ぎた運動であるかのようなマイナスイメージを付与されることになっている。この誤訳のために、#MeToo運動が引き起こした悪しき影響が想起され、この運動を貶める方向に読まれる可能性が高いことが懸念される。(その2 に続く。)
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