2022年3月8日、他ならぬ国際女性デーにあたる日に、広河隆一氏が突然 note で非常に長い文書を公開した。その目的を広河氏はこう説明している。
私は、多くの人々に現在考えていることを、議論の俎上に載せることと、説明責任の一端を果たすことを目的に、『週刊文春』の記事と、デイズジャパン検証報告(以下、『検証報告書』)を中心〔原文ママ〕、これまで考えたことをお知らせすることにしました。
この文書には非常に多くの問題があると私たちは考える。たとえば広河氏は「まえがき」的な意味あいをもつ「「文春砲」の性暴力報道」において『広辞苑』から「性暴力」や「強姦」といった単語の定義を引用してみせている。「読者と用語の概念を共有する一助とするため」だというのだが、その後の弁明を読んでいると別の意図が透けて見える。第1章「週刊誌報道の「事実」がひとり歩き」では『週刊文春』の記事タイトル(「「世界的人権派ジャーナリスト広河隆一の性暴力を告発する」 セックス要求、ヌード撮影 七人の女性が#MeToo」「「広河隆一は私を二週間 毎晩レイプした」 新たな女性が涙の告発」)を引用したうえで「これらのタイトルを目にしたときに、あなたは私がどのようなことをしたと想像したか、という質問」を読者にしてみせる。また第7章「デイズジャパン『検証報告書』」でも「私が尋ねたほとんどの人が、タイトルを見て私が女性に身体的暴力をふるったと思った、と私に述べている」と主張している。実は『広辞苑』の「性暴力」に関する定義は性暴力に関する今日の議論の水準に達しておらず(これについては別の記事で改めてとりあげた)、“殴る蹴るの暴力をふるったわけではない”という弁明に都合がよいものとなっているのだ。
しかし「検証報告書」のみならず『週刊文春』の記事も広河氏が“殴る蹴る”の暴力をふるったとはしていない。『週刊文春』の記事はむしろ、広河氏の性暴力が優越的な立場を利用するタイプのものであったことをこれ以上ないほど明快に述べているのだ。
繰り返しセックスをしたのなら、嫌だったとはいえないのではないか――。杏子さん、麻子さんの証言に、そんな疑問を覚える人もいるだろう。
だが、その道の先達、職場の上司、学校の教師など「指導する側の人」が優位な立場を利用して、若輩や部下、生徒など「指導される側の人」と性的行為に及ぶのは“性暴力”の典型だ。齋藤梓・目白大専任講師(被害者心理学)はこう語る。
(齋藤氏のコメントは省略)
つまり仮に広河氏の知人のなかに「広河は身体的な暴力を行使してレイプした」と思い込んだひとが本当にいたとしても、それは性暴力に関する認識をアップデートできていないひとが『週刊文春』の記事本文を読まずに思い込んだだけのことであり、『週刊文春』の瑕疵ではないし「週刊誌報道の「事実」がひとり歩き」というのも言いがかりでしかない。報道された「事実」とは優越的地位を濫用した性暴力、だったのであるから。『週刊文春』の記事が問題にもしていないことに執拗にこだわり自分の名誉が不当に貶められたかのように主張する姿を見ると、いったい広河氏はこの3年間なにを学ぼうとしてきたのか? と疑問を抱かざるを得ない。
これと関連して私たちを非常に驚かせた記述が第4章「「レイプ」」(広河氏がレイプという単語に「 」をつけている)にある。広河氏が性交を強要する際に「女性は嫌がると妊娠しやすくなるから気を付けろ。戦地に妊婦が多いのはレイプがおこなわれているからだ」と語ったと報じられたことについての弁明で、広河氏はこれが竹内久美子氏の著作に由来するものだとしている。
この話の出どころははっきりしている。以前、私が複数の社内スタッフがいる編集部(当時の他のスタッフに確かめた)で話した雑談が、デフォルメされているのだ。そこで私が紹介したのは、動物行動学者である竹内久美子氏の著作『そんなバカな』(文春文庫)や『BC!な話』(新潮社)などベストセラーになった本についての話だ。BCというのは竹内氏の造語で「生物学的に真実」ということを意味するという。これらの本については多くの書評が掲載され、評判になったため、私も読んだのだが、内容は社内で話題になり、本を貸したりした。その場にいた元スタッフに確認したところ、そこにも翔子さんがいたという。
つまり自分がそのような発言をするのを被害者が聞いたことがあるのは認めるが、性交を強要するために言ったことはない、というわけだ。私たちは真相がどうであったかを判断するだけの材料を現時点では持ち合わせていないので、ここではその点は問題にしない(ただし、年長で優越的な立場にある男性が職場において従属的な立場にある若い女性の前でこうしたことを話題にすること自体、文脈次第では環境型セクハラの誹りを免れないだろうということは指摘しておきたい)。また筆者が確認した限りでは『BC!な話』にはなるほど広河氏が紹介するような記述がある(新潮文庫版106-112ページ)一方、『そんなバカな!』にはここでとりあげられているような記述はなく広河氏の記憶違いではないかと思われるが、これもまた些末な問題である。私たちを驚かせたのは次の部分だ。
これらすべては、私が海外取材前に会社で本の紹介として話していたことだった。最近では、竹内氏と川村二郎氏(元週刊朝日編集長)の対談の書籍『「浮気」を「不倫」と呼ぶな』(WAC)の中でも紹介されている。
『そんなバカな!』の単行本は1991年刊、『BC!な話』(同書は新潮社から刊行され新潮文庫になった後さらに文春文庫にも収録されたが、その際にはメインタイトルとサブタイトルが入れ替えられている)は1997年刊。しかし『「浮気」を「不倫」と呼ぶな』の刊行は2018年11月21日(奥付の日付)。すなわち『週刊文春』が広河氏の性暴力を告発する直前なのである。
『そんなバカな!』はベストセラーとなり講談社出版文化賞の「科学賞」を受賞しており、当時話題にするひとが多かったのは確かだ。とはいえかなり早い時点から進化論の適用のしかたが短絡的、粗雑であるといった批判もあった。1990年代から2010年代半ばまでの竹内久美子氏の著作の多くが文藝春秋社または新潮社から刊行されていることから、竹内氏の言説が中高年男性の興味関心(あるいは不安)を主なターゲットとしたものとして流通していたこともうかがえる。
竹内氏は月刊誌『正論』(産経新聞社)の2017年12月号で初登場をはたすと2020年4月からは『産経新聞』の【正論】欄寄稿者となるなど、この数年でより右派的なメディアに接近していた。『「浮気」を「不倫」と呼ぶな』の版元である WAC も右派月刊誌『WiLL』の版元として知られている。ジャーナリストである広河氏がこうした事情を知らないとは考えにくいし、知らなかったというのなら怠慢というほかない。
近年では政治的志向の左右が睾丸のサイズで決まるとする「睾丸理論」で失笑を買い、2020年のアメリカ大統領選挙に際しては「Qアノン」ばりのトランプサポーターとして数々の荒唐無稽な陰謀論に飛びついたことで知られる竹内氏だが、右派のイデオロギーに「生物学的正しさ」という装いを与える役割を果たしているのだ。とりわけ問題なのは、動物の繁殖行動に関する研究を性暴力の正当化のために利用している点だ。
動物行動学(竹内氏が自称している分野)、進化心理学、社会生物学などが繁殖行動を記述する際に「レイプ」などの表現を安易に用いる点はかねてから批判の対象となってきた。それに加えてこの年の6月に刊行された『正論』2018年7月号には、竹内久美子氏と長谷川三千子氏との対談「セクハラ? チンパンジーでは常識ですょ : 他人の尻馬に乗る「#ME TOO」運動」が掲載されている。これは財務省事務次官の新聞記者に対するセクシャル・ハラスメントを野党やマスメディアが問題視していた時期に掲載されたもので、事務次官の性暴力を擁護すると同時に #ME TOO 運動の告発を無効化しようとする意図は明白だ。
『「浮気」を「不倫」と呼ぶな』には次のようなやりとりが登場する(123-124ページ)。
竹内 (略)
レイプについて、ロビン・ベイカーはさらに「レイプされたときわざわざ抵抗してみせて、それでもやり通せる男性かどうかを女性は見ている」と言っています。やり通せる男性であれば、その遺伝子を受け入れてもいいと。
川村 これもまた恐ろしい話ですね。
竹内 女性であれば嫌いな男性と性交したら排卵は絶対にしないように、自分の生理状態を変化させるくらいのことは朝飯前のはずです。でも、レイプされることがあり、しかもその際に子供ができやすいという現象があるのは、よくよく考えてみるとおかしい。
ということは、抵抗してみせて、なおかつ、その抵抗を超えてできるかどうかを試しているのかもしれません。
川村 「いやよいやよも好きのうち」は性差別の典型で、今やタブー視されていますが、真理を含んでいるのかもしれませんね。
レイプが男性にとって“適応的”な繁殖戦略だと主張するにとどまらず、女性にとっても同様である、というのだ。『BC!な話』でも(こちらは竹内氏自身のことばで)「昔から言うように、「嫌よ、嫌よも好きのうち」である」「「嫌よ、嫌よ」のときの抵抗はごくごく軽いものだ」とされており(いずれも新潮文庫版111ページ)、激しく抵抗しなかったのだから同意していたのだ、という誤解を与えかねない*。
広河氏が『BC!な話』を読んだのはかなり以前のことなのであろうし、『「浮気」を「不倫」と呼ぶな』を読んだのが『週刊文春』の報道以前だという可能性も否定できない。しかし今回公開された文書においてなんら批判的コメントなしにこうした記述に言及しているのはどういうことなのだろうか? 自分の行為を正当化し、告発を無効化する手段を探し求めていたのではないか、という疑念を抱いて当然ではないだろうか? いまになってもなお竹内氏の言説に批判的問題意識を持てずにいるというのであれば、広河氏が自らに向けられた性暴力の告発を深刻に受け止めたとは思えないのである。
* 『BC!な話』では いちおう「レイプのときの抵抗、レイプに対する恐怖、嫌悪、レイプされるくらいなら死んだ方がましだというあの心理」(112ページ、原文のルビを省略)にも言及がある。しかしこうした記述は激しい抵抗こそがレイプの証であるとするいわゆる「レイプ神話」への親和性を感じさせるのに加えて、あくまで「レイプされたときの方が妊娠率が高い」という自説を理論的に説明するうえでの障害としてとりあげられているだけで、性暴力が深刻な人権侵害であることと結び付けられてはいないことも、指摘しておきたい。
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